大切にしたい、虚構を楽しむ心
11月になってようやく秋らしくなってきた。まだ六甲山の紅葉には早いけれど、今月の末には見事な装いを見せてくれるはず。
でも一足早く、見事な秋を鑑賞することができた。
阪急電車六甲駅の南にある、六甲八幡神社のイチョウの大木。この木は強烈な存在感を放っていて、下から見上げていると感動で声が出ない。今年は何度も台風が上陸したけれど、葉を散らさずに残してくれていたんだね。
すぐ近くの本殿では、七五三の祈祷を執り行っている神楽の音が聴こえていた。今日は見事な秋晴れだったから、この神社を訪れた人は大勢いただろうと思う。
あまりに気持ちいい気候だったので、買い物ついでにちょっと遠回りして散歩を楽しんだ。今日の歩数は11,834歩。まずまずだよね。
自然の美しさを楽しもうと思うと、心に余裕がなければ難しい。体調が悪かったり、悩みごとで頭がいっぱいになっていたら、紅葉どころじゃないだろう。
そしてもうひとつ大切なことがある。それは遊び心があること。でないと落ち葉なんて、ただの枯れ葉にしか思えない。生物学的には色が変色して枯れているだけ。でもそこに『美』を見るためには、楽しむ心が欠かせない。
これは小説や映画を楽しむとき、絶対に必要となる要素。まさにそうした心が求められる映画を観た。
『マリー・アントワネット』という2006年のアメリカ映画。ボクの好きな映画監督である、ソフィア・コッポラがメガホンを取っている。
初見だったけれど、いきなり驚く。見た目は18世紀のウィーンなのに、ロックミュージックで始まったから。この瞬間、この映画の表現しているものがわかる。
マリー・アントワネットは説明する必要のない歴史的人物。でもこの映画は、彼女の人生を忠実に再現したものじゃない。監督でるソフィアの視点を通して、彼女の人生が描かれている。それゆえ、史実にこだわることは無意味な作品だと思う。
本当のマリー・アントワネットがこうだったとか、こうじゃなかったを議論する映画じゃない。たった14歳でオーストリアからフランスに連れて行かれ、将来の王妃として扱われる。そんな女性の葛藤にフォーカスすることが、この映画の中心テーマだろう。
だからボクは心底楽しむことができた。もちろんラストには、フランス革命による悲劇が彼女に襲いかかる。でもギロチンにかけられるシーンなどない。ただヴェルサイユ宮殿を去って行くシーンで終わる。
だけど歴史的な事実にこだわる人は、この映画をまったく楽しめないだろうね。これはあくまでも虚構の世界であって、事実を描いた作品ではない。だからその虚構を楽しむ心を持てないと、退屈で嘘を表現した愚作だとしか思えなくなる。まぁ、それはそれでいいのかも。
でもボクは、そんな虚構を楽しむ心を失いたくない。その想いを大切にしなければ、小説は書けないし、読んでも面白くない。この映画を楽しめた自分を省みて、まだまだその心を失っていないなと自覚できた。
もしかしたらソフィア・コッポラは、そうしたことを意図してこの映画を作ったのかもねw
ブログの更新はFacebookページとTwitterで告知しています。フォローしていただけるとうれしいです。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
コメント (0件)
現在、この記事へのトラックバックは受け付けていません。
コメントする