SOLA TODAY Vol.812
断捨離を成功させるためには、思い切りが大切。例えば、1年以上使っていないものは捨てるというくらいの、強烈な気合が求められる。
ミニマリストの我が家でさえ、常日ごろからものを増やさないように意識している。最低でも『一つ買ったら一つ捨てる』を心がけないと、必然的にものは増えていくことになる。
ただ捨てたものは二度と戻らない。価値観を考慮せずに勢いだけで断捨離をすれば、取り返しのつかないことになる場合もある。そんな断捨離の失敗例として、明治政府を上げることができる。
タイトルにある『蛮行』とは、明治政府が出した『神仏分離令』のこと。明治天皇を神として祀り上げるため、1000年以上も続いていた『神仏習合』を断捨離してしまった。
先日最終回を迎えた『西郷どん』でも語られていたが、江戸時代の名残に固執する人は大勢いた。その代表が武士であり、西南戦争はその武士の息の根を止める戦争だった。そこまでやらなければいけないほど、明治政府はある意味追い詰められていたんだと思う。
神仏分離令もそうした意図で発布されたものだろうけれど、それはやがて『廃仏毀釈』という過激な運動に発展していく。この記事を読むと詳しく書かれているけれど、歴史的価値のある経典や仏像、そして寺院が徹底的に破壊されている。読んでいると、めまいがしそうなほどひどい破壊行為だった。
日本古来の神道は、懐の深い宗教として知られている。だから蘇我氏や聖徳太子によって輸入された仏教が日本に定着したんだろう。ボクは『永遠なる玉響』という小説で南北朝時代のことを書いたけれど、当時の皇室と仏教のつながりは引き離すことができないほど深かった。
それは江戸時代でも同じで、このタイトルにある明治天皇の「一生の心残り」とは、その繋がりが葬られたことへの嘆きだろうと思う。明治政府が新しい日本を作ろうとした気持ちはわかるけれど、その方法はかなり度が過ぎたように思う。
明治政府が文化遺産の破壊をやらかしたのはこれだけじゃない。日本中のお城を取り壊してしまった。これは本当に惜しい。現在の国宝である姫路城や彦根城のような城が、石垣だけを残して消えていった。その後になって再建されても、それは似て非なるものでしかない。
こうしたことは、ソ連や中国等の共産主義国もやらかしたよね。近年ではイスラム教の原理主義者たちが、偶像崇拝を批判するために貴重な文化遺産を破壊している。新しい世界は古いものの破壊によって成り立つんだろうけれど、なんとも釈然としない気持ちになってしまう。
それは執着だと言われてたらそうかもしれない。だけど残すべきものもあったはず。現代の人類は、そうした過去の積み重ねによって成立しているんだからね。ちょっとショッキングな記事だった。
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