人と人はどこかで繋がっている
2019年は洗濯機の故障という波乱の幕開けだったけれど、今日になってようやく落ち着いた気分で過ごせた。明日に新しい洗濯機が設置されたら、とりあえず一件落着と宣言できそう。
正月の三が日は快晴だったので、全国の神社は初詣で賑わったことだろう。我が家は去年も今年も初詣は行かずに終わると思う。神様に願いごとをしている時間があるなら、小説を書いているほうが有意義だからね。
今日は午前も午後も、きっちりと仕事をすることができた。箱根駅伝の中継とお昼に食べたお雑煮がなかったら、お正月だということを忘れていたかもしれない。でもこれで正月用の食材は終了なので、夕食からは普段どおりのメニューになる。
正月の3日間で妻以外に会話をしたのは、昨日の家電量販店の店員さんだけだというボク。強いて言えば、昨日ブルドッグの散歩をしていた人に声をかけたくらいだろう。そんなボクでも、大勢の人に助けられて生きている。
これまで良好な関係を結んできた人たちだけでなく、明日のスーパーでボクが買うことになる野菜を運んでいる人や、その野菜を作ってくれた人に助けられている。電気やガスを使えるのも、インフラ整備で働いてくれている人がいるから。あるいは未来に会うことになるまだ見ぬ仕事関係の人も、ボクを助けてくれる存在だと思う。
自覚していなくても、人と人はどこかで繋がっている。一生会うことのない人でも、ボクの人生に大きな影響を与えている人がいる。そんなことを感じさせてもらえる小説を読んだ。今年最初の読了本になる。
『ダンスホール』佐藤正午 著という小説。これで佐藤さんの著作を読むのは4作目になる。やっぱこの作家さん好きだなぁ。
この小説は大きな事件が起きない。発砲事件が発生するけれど、それはこの物語を進めるきっかけでしかなく、登場人物たちに大きな影響はない。
ある男性がある女性を探している。ややこしい事情なんだけれど、自分の元妻が同棲している男の妻を探している。自分の妻とは離婚が成立しているけれど、妻の恋人の離婚が成立していないので、元妻は再婚することができない。
なぜ元妻の恋人の離婚のために、その男は動いているのか? 不思議に思うシチュエーションだけれど、物語を読むと違和感なく受け入れることができる。
結論として行方知らずだったその女性は見つかる。ところが面白いことが起きる。この女性に探している男性がいることを教えた人は、探していた男性にとって赤の他人だった。そして男性に女性の居場所を教えてくれた人も、探されていた女性にとって赤の他人。
つまりその二人が会うためにお膳立てしてくれた二人の仲介者を、双方は知らなかったというオチになっている。自分の目的のために、まったく見ず知らずの人が動いていたことになる。そのあたりの流れも、小説ではとてもうまく書かれている。
世間はせまい、とよく言うけれど、現実でもこんなことが起きるような気がする。やっぱり人と人は、とこかで繋がっているんだろうね。
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