なぜ世界は存在しないのか
今日も朝からいい天気。我が家に続く登り坂を歩いていると、汗ばむほどの小春日和だった。そして春を感じさせる花が咲いていた。
この冬になって初めて見た梅の花。もう咲いているんだね。まだ1月も半ばだけれど、なんとなく春を感じてうれしかった。
さて、久しぶりにじっくりと頭の体操をした。というのは哲学書を読んだから。
『なぜ世界は存在しないのか』マルクス・ガブリエル著という本。
著者はまだ若いドイツの哲学者。ボクはこのタイトルに心が引っ張られてしまった。だっていきなり『世界は存在しない』ということが前提になっているから。ちょっと、待ってよ、なぜ世界が存在しないの? そう思うとこの本の中身が気になってしまった。
なんでも海外ではベストセラーになった書籍で、多くの外国語に翻訳されているらしい。でも哲学書独特の意味不明な文章ではなく、哲学の知識がない人にも読めるように書かれている。頭は使うけれど、じっくり読めば著者の言いたいことを理解することができる。
この著者が言っている『世界』は、きちんと定義されている。
彼がいうところの世界は、『すべてを取りまとめていて組織化している原理』のこと。物理学者なら『宇宙』だと答えるだろうし、宗教家なら『神』だと答えるだろう。
だけどそんな原理など存在しない。著者はこのことをとてもわかりやすく説明している。だから世界は存在しないと明言している。
著者がこの本で説いているのは『新しい実在論』というもの。これまでの哲学を牽引してきた形而上学と構築主義を否定することで、この理論を提唱している。
形而上学は、いかなる事象にも、人間による認識から独立した唯一真正な本質が存在することを主張する。
構築主義は、いかなる事象にも、唯一真正な本質が存在することを否定する。どんな世界も、それを経験している人間によってまったくちがうと主張している。
この二つは正反対の主張なんだけれど、著者はこのどちらにもリアリティが存在しないと論破している。そのうえで『新しい実在論』を提唱した。
ボクはこの本にかなり衝撃的な影響を受けた。どちらかといえば、ボクの世界観は構築主義に近かったと思う。だけどそれがぶっ飛んでしまった。
そしてそのあとにやってきたビジョンは、不思議なことに形而上学が語る『神意識』や『宇宙意識』のような絶対的なものだった。著者は相反する二つの理論を統合しようとしたんだと思う。だから両方の世界をぶち壊しつつ、そこから実態を紡ぎ直したような気がする。
うまく説明できないので、気になる人はぜひこの本を手にしてみてほしい。おそらくほとんどの人の世界観がひっくり返ることになると思う。
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