すべての終わりの始まり
このブログやFacebookを通じて、たまに質問してくる人がいる。質問してもらうことはいっこうにかまわない。明晰夢や体外離脱の技術的なことなら、できる限り真摯に答えようと思っている。
だけどある特定の質問に対しては、あえて答えないようにしている。それは極端に依存性が強い人の質問。
このブログで何度も書いているけれど、決まったタイプの人が質問をしてくる。正直に言って、同じ人が名前を変えて質問しているんじゃないかと思えるほど。なぜならその質問のパターンが画一的で、面白いことに文体まで似ている。
スピリチュアルなことに関心がある人は、何らかの問題を抱えていたり、人生で求めるものがある場合が多い。だけどそれらが変な方向に行ってしまうと、大きく2つに分かれるように思う。
ひとつは他人の意見を参考にしつつも、自分の体験を重ねることでその答えを求めていく人。それが妙な具合にこうじると、他人に対して影響を及ぼそうとする。
もうひとつは自分で考えようとせず、ひたすら他人から答えを求めようとする人。誰かが正解を知っていると思い込んで、次々と相手を変えて訊き回る。ボクに質問してくる人は、圧倒的にこのタイプの人。
この2つが出会うとどうなるか? そこに宗教が生まれる。教祖と信者の関係ができあがってしまう。これはいわゆる神や仏という意味での宗教だけじゃないよ。生き方セミナーや引き寄せセミナーなんかでも、結果として新興宗教と同じような状況になっている場合が多い。
教祖的な人物がいて、その人を礼賛する人が集まる。当然ながらお金も動く。そして自分で考えようとしない人が、ゾロゾロと集まってくる。だけどそんなことで人生は変わらない。自分自身で考えて悩んで変えない限り、人生の魔法は起きない。
だからボクは質問者に強い依存性を感じると、その質問に答えず自分で考えるようにお願いする。まぁそういう人が質問してくる内容は、もともと答えの出ないことが多い。個人の主観によって答えが大きく変化することを訊いてくるから、人の意見に振り回されることになるんだと思う。
依存性の強い人は、どうも視点が一方通行になりやすいように感じる。まったくちがう視点からものごとをとらえられないような気がする。そんなときは、この小説を読んでみたらどうだろうか?
『すべての終わりの始まり』キャロル・エムシュウィラー著という短編小説集。全部で20の作品が収録されている。
女性のSF作家なんだけれど、なんと90歳を超えた今でも執筆を続けているそう。すごいよね。本格的に小説を書き始めたのが40代以降とのこと。そして70代のころに多くの有名な賞を受賞している。
SFなんだけれど、読み始めるとSFだと感じない。どう考えても普通の小説。ほとんどの語り手が『私』という一人称。ところがどっこい、その『私』がくせ者だったりする。
人間だと思ったら大間違い、動物かもしれないし、宇宙人かもしれない。とにかく読み進めないとわからないし、読み終えてもわからない小説もあるwww
でも彼女の小説を読むと、いかにボクたちが普段から強い固定観念を抱いているかを痛感させられる。その観念を手放せない人は、この小説を読むとわけがわからなくなってしまうと思う。散文なんだけれど、詩のような文体ゆえに余計混乱させられる。
だけどある程度の固定観念を手放せる人は、いい具合でこの小説世界で迷子になれると思う。そして迷子になることで、自分とは何かを考えさせられる。特定の信念を押し付けるセミナーに行っているより、こういう小説を読んで自分を探すほうが有意義だと思うけどね。
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