想像力を刺激するモヤモヤ感
完璧主義の人は、何事につけてもきっちり、すっきりしたいと思うはず。あぁ、なるほどという感覚によって、言葉にできない安心感を得る。
だけど世の中に起きる出来事は、完璧なことばかりじゃない。たいていはモヤモヤしたものが残り、妥協しつつ受け入れることのほうが多い。
せめて小説や映画の世界くらいは、モヤモヤを残したまま終わってほしくない。そんな期待に応えるように、ほとんどの物語はそれなりの結末を迎える。
ところが作者によって、あえてモヤモヤ感を残す人がいる。読了したり映画を観終わると、モヤモヤが残って落ち着かない。スティーブン・キングが、そんなモヤモヤ感の残る作品を書いている。
『セル』下巻 スティーブン・キング著という小説。上巻の感想については、『進化する携帯狂人の恐怖』という記事に書いた。
この作品は映画化されている。ボクはこの原作を読む前に映画を先に観ている。そのときもモヤモヤ感が残ったんだけれど、原作も同じ感覚に見舞われた。ただストーリーはかなりちがっていて、ボクは原作のほうがはるかに好き。
携帯電話によって脳を初期化された携帯狂人たち。やがて彼らは狂人ではなく携帯人と呼ばれるようになる。夜ごと再起動してプログラムをアップデートしていくので、集団行動だけでなく、空中浮揚のような超能力まで身につけるようになった。
主人公のクレイ、そしてトムとアリスは、そんな携帯人と戦おうとする。そしてLPガスを爆弾のように使うことで、千人もの携帯人を一気に殺すことに成功する。ところが復讐を果たそうとする携帯人は、彼らをある場所に集めようとした。それは公開処刑をするため。
その途中でアリスという少女は命を落とすけれど、他にも携帯人を虐殺したグループが存在していて、クレイたちと合流する。それは超能力で脳を支配されることで、強制的に処刑場に引き寄せられてきたから。このあたりの展開は、読んでいても背筋が寒くなってくるほど気持ち悪い。
そこからは様々なことがあって、脳の支配から逃れて隙をついたクレイたちが、数千人という携帯人の群れを殺すことに成功する。さらにクレイは、はぐれていた自分の息子を見つける。携帯人になっていたけれど、脳に保存されたシステムを復活させれば、元の息子に戻るかもしれない。そのために再度息子に『パルス』を送るところで物語は終わる。
物語としてはめちゃ面白い。映画よりずっと良かった。でも先ほど書いたモヤモヤ感が消えない。その理由は明らか。
なぜなら脳を初期化した『パルス』が誰によって、そしてどうのような過程で発生したかについて、まったく書かれていない。おそらくテロリストが最新兵器を作っていてミスったのだろう、というような推測しか出てこない。このモヤモヤ感がとにかく気持ち悪い。
そのうえ、この世界が今後どうなるかがまったく未知数。携帯人たちのプログラムにはバグがあって、冬になれば自滅するのは明らかだった。だけど世界はもとどおりになるのか不明。さらにクレイの息子のように、中途半端な携帯人が多数いる。とにかくカオス状態のままで物語が終わってしまう。
こうなるとモヤモヤ感を払拭しようと思えば、読者が想像するしかない。そうして折り合いをつけないと消化に悪い。きっと著者は、そんな想像力を刺激するために、このモヤモヤ感を残したのじゃないだろうか? そんなことを感じた作品だった。
ちなみにスティーブン・キングらしく、『IT』に使われた病院や、『ダークタワー』シリーズで貴重なアイテムになった絵本などがこの物語に登場する。ボクのようなコアな彼のファンは、そこでニンマリすることになる。そのあたりも計算されているんだろうね。
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