地位が人を作る、はあると思う
地位が人を作る、という言葉がある。結果論的な言葉ではあるので、結果が伴っていない人は言われないだろうけれどねwww
そのレベルに達したからその地位に就いたのか、その地位に就いたからそのレベルに達したのかは、賛否両論があると思う。でもボクは、後者の例がかなり多いように感じる。なぜなら人間には責任感というものがあるから。
特待の立場に立ったことで、一定の責任が生じる。そのプレッシャーに押しつぶされることなく前に進める人は、地位に見合ったひとかどの人物になっていくように思う。
例にあげること自体が失礼にあたるのを承知で言えば、今月になって皇太子から天皇に即位された天皇陛下の映像を見ていてそのことを感じた。5月1日に洋装姿を拝見した映像では、まだ皇太子時代の雰囲気のようなものが見え隠れてしていた。
でも先日、御所の賢所へ和装で祭祀に向かわれる姿を拝見していて、あぁ天皇陛下に即位されたんだなぁと強く感じた。どことなく風格と威厳のようなものを感じたから。これから年月を重ねていかれるごとに、天皇としてのオーラを放たれるようになるんだと思う。
そう言えばある映画を観ていて、地位が人を作るんだなぁと感じた作品がある。
『48時間PART2/帰って来たふたり』(原題:Another 48 Hrs.)という1990年のアメリカ映画。
つい先日、この映画の前作にあたる『48時間』という映画を久しぶりに観た。当時はめちゃ面白いという印象があった。だけど見直してみると、どことなくもっさりとしている。時代特有のテンポ感が影響しているせいだと思うけれど、それだけじゃない気がしていた。
なぜならその映画はエディ・マーフィーのデビュー作だったから。当然ながら共演しているニック・ノルティのほうが先に名前をクレジットされている。エディらしさは出ていたとはいえ、どこかまだ未熟な雰囲気を感じていた。
ところがそれからエディは一気にスターダムをのし上がった。『大逆転』や『ビバリーヒルズ・コップ』の大ヒットで、ハリウッドスターとしての実力を発揮する。この映画が公開された8年後では、ニック・ノルティよりエディ・マーフィーのファンのほうが圧倒的に多かったはず。
久しぶりに続編を観たけれど、まず驚いたのは出演俳優のクレジットでエディの名前がトップだったこと。これだけで力関係の変化がわかるよね。そして彼の全盛時代の実力がいかんなく発揮されていて、シリーズ作としては珍しく、続編のほうがずっといい映画になっていた。
まさに地位が人を作ったんだなぁと感じた。前作よりスリムになったニックがかすむくらい、エディの演技が光っていた。映画の世界には、こんなことがあるんだね。
だとしてもやはり1990年。いまのアクション映画に比べたら、どことなく見劣りがする。そんな時代の変化を感じられるので、たまに古い映画を観るのはいいかもしれないなぁ。
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