いつ死んでもいい、という理想
久しぶりに徹夜をしてしまった。仕事に追われていたのではなく、ただ眠れなかっただけ。
新しい小説のコンセプトを考えていて、それに関する妄想が止まらなくなったから。午前1時、2時、3時と経過して、気がつくと午前4時半になっていた。
もう眠るのをあきらめて体外離脱をして遊ぶことにした。寝不足でもコツがわかっていたら体外離脱なんて簡単。ロボットしかいない不思議な街を少し散策して、午前5時過ぎには戻ってきた。そのあと1時間はくらいはウトウトできたと思う。
眠れなかったのは『死』について考えていたから。普段から『今日が最後の日』という気持ちで生きようとしている。だけどそれはこころざしの問題であって、実際の感覚とは思っている以上に距離が開いている。
いつ死んでもいい、というのは理想的な心の境地でしかない。実際に自分が『いま』死ぬことをイメージすると、ちょっと待って欲しいという気持ちになってしまう。実現したい目標があるし、まだ途中の仕事もある。やらなくては、と思いつつできていないことなんて山ほどある。
そして動物としての生存本能は、人間が想像している以上に強い。余命宣告を受けた病気中だったり、精神が病んでいる状態でなかったら、人間は『死』に対して真剣に向き合えない。むしろ生きることに全力を注ごうとする。
とまぁこんなことを延々と考えているわけだから、そりゃ眠れないよね。今日が最後の日だとイメージすると、自分の不甲斐なさばかりがクローズアップされてしまう。だからいつ死んでもいいなんて境地は、悲しいけれど遠い理想世界でしかない。とにかく全力で生きるしかない。
そんな人間の生存本能の強さを、見事に描いた映画がある。
『THE GREY 凍える太陽』という2011年のアメリカ映画を観た。主演は写真のリーアム・ニーソン。かなり怖い映画だったけれど、映画としては素晴らしい作品だと思う。
主人公のオットウェイは、妻を病気で亡くして自暴自棄になっていた。このあたりはリーアム・ニーソンの実生活とかぶるところがある。彼は石油採場に雇われたプロのハンター。オオカミが多い地域なので、人間を守ることが仕事だった。
休暇を過ごすため、大勢の従業員とともに乗り込んだ飛行機が悪天候で墜落する。生き残ったのはオットウェイを含めたわずか7人。オオカミの縄張りのど真ん中に取り残されたことで、オオカミの攻撃を防ぎながら逃げるしかない。
自殺しようと思っていたオットウェイは、7人のリーダーとして生き残るために行動する。それは7人をどうにかして生還させ、かつ事故死した人の遺品を家族に届けるため。ところが1人、また1人と死んでいく。
結論からすると、最後に残ったのはオットウェイだけだった。そしてようやく森を抜けてたどり着いたと思ったのは、なんとオオカミの巣穴だった。オットウェイがオオカミのボスと戦う決意をするところで、この映画は終わる。そしてエンドロールに、意味深な短い映像が差し込まれている。
ハッピーエンドじゃないし、かなり怖いシーンが多いので、子供には見せられない映画だと思う。でも大人には一見の価値がある作品だと感じた。あきらめたら死んでしまう状況で、人間は必死で生きようとする。そのすさまじい生存本能が登場人物たちから発せられていて、ボクの心は激しくゆさぶられた。
こんな激烈な映画を観たから、眠れたかったのかもね。とにかくリーアム・ニーソンは、いつもながらかっこいいオヤジだったなぁ。
ブログの更新はFacebookページとTwitterで告知しています。フォローしていただけるとうれしいです。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
コメント (0件)
現在、この記事へのトラックバックは受け付けていません。
コメントする