殺人を笑える人、笑えない人
人間の倫理観というものを、絶対的な指標で定量するのは無理。同じ出来事を見聞きしても、人によって反応がちがうのは当然だよね。それは特定の出来事が、その人にとってどれだけ強く影響を及ぼしてきたかが異なるから。
身近な人を交通事故で亡くした人は、無謀な運転や飲酒運転で他人の命を奪ってしまった人を許せないと思う。これは殺人事件でも、虐待やDVやいじめでも同じ。よくないことだとほとんどの人が感じていても、家族や自分が当事者の人とは事件に対する温度差に大きな開きがあるだろう。
だからフィクションだとわかっていても、内容によっては本を読んだり映画を観たりすることができない場合がある。それがコメディであってもね。たとえば『パルプフィクション』という映画なんか、ボクはエグいなぁと思いつつ笑って観てしまう。だけど絶対に笑えない人がいるはず。
そういう意味では、現実では悲惨であることを扱っている作品に触れて、それをフィクションだと認識できて楽しめる人。ボクも含めたそんな人たちは、顔を背ける人たちに比べて平穏な人生なんだと思う。そのことに感謝するべきなのかもしれない。
今日ある映画を観ていて、そんなことを考えていた。
『女と男の名誉』(原題:Prizzi’s Honor)という1985年のアメリカ映画。マフィアを主人公にしたブラックコメディの作品。残酷なシーンはないので思い切り笑うことのできる楽しい映画だった。
ジャック・ニコルソンが演じるチャーリーはマフィアの殺し屋。若手の頭目で、未来のファミリーを担う人間として認知されている。ある日ファミリーの結婚式に参列したとき、ある女性に一目惚れする。それがキャスリン・ターナーが演じるアイリーン。
一般人の女性だと思ってチャーリーはアイリーンに接触する。そして二人とも恋に落ちて結婚をするが、なんとアイリーンも同じ殺し屋だった。それもかなりのやり手で、暗黒界では相当に名をあげている。
この二人の結婚がきっかけになって、様々なドタバタ事件が起きるという物語。そしてファミリーの後継者に決定したチャーリーに課せられた使命は、妻のアイリーンを殺すことだった。それを察したアイリーンも、チャーリーを殺すべき機会をうかがう、というようなコメディドラマ。
めちゃ笑うんだけれど、とにかく主人公の二人に倫理観なんて存在しない。平気で人を殺す。コメディだとわかっていても、この部分で引っかかる人はこの映画を楽しめないだろうと思う。殺しがゲーム感覚で行われているからね。
現実とフィクションを切り分けることができるのは、平穏な人生を送っている人か、過去の苦しみを乗り越えた人だからだと思う。登場人物に感情移入できるということは、まだフィクションだと認識できているからだろう。
切り分けができない人は、感情移入することさえ無理だと思う。物語を創作する難しさを感じた映画だった。
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