狂気であることが正常な世界
今日は参議院選挙の投開票日。ボクは10日以上も前に期日前投票を済ませているので、今日は高みの見物で投票所を通り過ぎた。このブログのアップ時点で締め切りまで3時間ほどあるから、投票に行ってない人はすぐに行くべき。
小さく見える一人の一票だけれど、その大きさは計り知れない。一人ひとりの意思表示が行使されない世界は、破滅へと向かうしかない。世界的な戦争を二度と起こさないためにも、そして少しでも多くの人が笑顔で暮らせるようになるためにも、その一票が必要だと思う。
昨日ある映画を観ていて、そのことを痛切に感じた。戦争というのは人間の狂気が起こすものであり、戦地はまさに狂気そのものの世界。誰もが常軌を逸して狂っている。そうなると狂気であることが正常な人間のように思えてくる。まともな人間でいる方が、戦地では狂っていると思われてしまう。
『地獄の黙示録』(原題:Apocalypse Now )という1979年の映画。ボクがこの映画を初めて観たのは、公開時のときだから高校生のころ。『ゴッドファーザー』のフランシス・フォード・コッポラの作品だからと、期待に胸をふくらませて映画館に行った。
ところが頭が???となっただけ。特に後半部分が観念的すぎて、まったく理解不能だった。でも人間の意識は変化していく。その後に何度もこの映画を見直しているうち、ボクはある結論に至った。
『やっぱりコッポラは天才や!』というもの。そしてそれは2000年になって監督自身が編集したディレクターズカット版を観て、さらにそう思った。もう10回近くは観ているけれど、久しぶりに観てもマジですごい映画だという確信はゆるがない。
ベトナム戦争における有能な大佐だったカーツが、戦線を離脱してカンボジアで私兵を集めている。そしてベトコンにもアメリカ軍にも抵抗している。それで主人公であるウィラード大尉が密命を受けて、カーツ大佐を暗殺するという物語。
ウィラード自身も戦争の影響でどこか狂っている。妻とは別れ、ジャングルに戻ることを切望していた。ある種のPTSDのような状態だったんだろう。ところがそんなウィラードでさえ、久しぶりに戻った戦地での狂気に驚愕する。
高い波でサーフィンをしたいという理由だけでベトコン拠点で殺戮をする中佐。銃弾が飛び交うなか、カメラを構えて演技を指導する報道陣。ジャングルに設けられた異様なプレイメイトたちのステージ。指揮官のいない状態で狂ったように戦っている兵士たち。
やがてウィラードは、戦地で反乱を起こしたカーツこそがまともな人間だと確信する。カーツの容疑はベトナム人のスパイを勝手に殺したことだけれど、彼らは二重スパイであって、そのことを暴いたのはカーツだった。スパイを処刑したことでカーツの部隊は救われている。なのに殺人の容疑で暗殺されるなんて。
ところがそのウィラードをカーツは待っていた。狂気の世界で自分を殺してくれる人間を待ち望んでいた。このあたりの後半部分が、高校生のボクにはまだ理解できなかったんだね。いまならその狂気のなかのかすかな正義を理解できるような気がする。
それにしてもみんな若い。ウィラード中尉を演じたマーティン・シーンは若さにあふれているし、ルーカス大佐を演じたハリソン・フォードなんてマジの青年だからね。
ちなみにハリソン・フォードは最初主役のウィラード中尉の役をオファーされたそう。だけど『スターウォーズ』の撮影とかぶったので、辞退するしかなかった。そこで撮影場所に遊びにきたとき、大佐役で予定外の出演をしたらしい。だから『スターウォーズ』にちなんで、ルーカス大佐という名前になったらしい。ジョージ・ルーカスから取ったんだろう。これはちょっとしたトリビアだね。
ブログの更新はFacebookページとTwitterで告知しています。フォローしていただけるとうれしいです。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
コメント (0件)
現在、この記事へのトラックバックは受け付けていません。
コメントする