結局はインプットの質が大切
以前あるテレビ番組で、古くから営業しているイタリアンテストランのオーナーがインタビューに答えていた。そのオーナーで二代目となる。
料理について尋ねられらたとき、信じらないような言葉が返ってきた。「僕はイタリアンが嫌いなんだよね」
どれだけ有名な店か知らないけれど、ボクはタダでもその店に行きたくない。あれはジョークではなくて本気で言っていた。イタリアンが嫌いなオーナーが経営しているイタリアンなんて、絶対に食べたくない。
飲食店で残念な料理に出会ったとき、いつも思うことがある。この料理を作った人はこれを本気で美味しいと思っているのだろうか? 本気ならそれでいい。好みのちがいでしかないから。
だけどろくに味見もせず、自分が作ったものが美味しいかどうかの判断を放棄しているなら最悪。お金を取って料理を出すのなら、少なくとも自分が本気で美味しいを思っているものを提供するべき。それがプロというものだろう。
これは料理に限らない。小説だろうと音楽であろうと絵画であろうと、自分がその作品を読みたい、聴きたい、見たいと思わなければダメ。それが売れるかどうかよりも、まず創作した本人がその作品を愛しているかどうかが重要だと思う。
ある本を読んで、そんなボクの意をさらに強くした。
『読みたいことを、書けばいい。』田中泰延 著という本。
田中さんのことを知ったのはTwitter。大阪在住の人で、彼のツイートはめちゃめちゃ面白い。それで以前からフォローしている。ずっと電通でCM制作に関わってこられた方で、2016年に退職されてフリーランスとなられた。
そんな著者の初めての本だけれど、とにかく面白かった。ツイートと同じくどこか人を食ったような文章で、この本を読みながら何度も吹き出した。
内容についてはタイトルでわかると思う。文章の指南書のように見えるけれど、文章のテクニックについては書かれていない。どちらかといえば創作のための心構えについて記されている。
文章を書く人は、自分が読みたいことを書くべき。料理人は自分が食べたいものを作り、ミュージシャンは自分が聴きたい音楽を演奏するのが原則だと思う。商業路線に乗せることを考えたら、そうでないこともあるだろう。だけど自分が好きになれないことをやっていても、永遠に満たされることはないと思う。
ボクがこの本を読んで強く感じたことがある。創作者にとって必要なのは、自分が読みたいものが『何か』を常に追い求めることが必要だということ。言いかえれば、インプットの質を高めていくことが大切だということ。
『読みたい』と思うもののレベルが到達する目標になってくる。だけどその質が低ければ、そこから脱却することができない。それゆえできる限り選り好みせず、幅広いジャンルの本を読んでいくことが必要になってくる。
料理人だって、いろんな店を食べ歩いてインプットの質を高めていかないと、自分の限界を超えることができないはず。井の中の蛙でいいなら、仕方ないけれどね。
読みたいことを書くのは原則だと思う。だけど創作者のスキルを上げていくためには、読みたいものの質を上げていくしかない。そのうえで、読みたいことを書けるように挑戦していく。そのくり返しだろう。
結局はどれだけ多く、そして質の高いインプットを継続していくかだと思う。
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