直感を使うのに必要なもの
人間は理性的な生き物だと思われているけれど、以外にそうでもない。選択を迫られたとき、理詰めで考えるよりも多用しているものがある。
それは直感。なんとなくそう感じるという感覚。
ボクと妻は買い物をするときに決めていることがある。決定にあたって品質と値段という合理的な材料を使用しているけれど、最終的に決めるのは別の感覚を使っている。その結果、機能も優れているし値段も安いのに買わないことがある。
それは『迷い』を感じたとき。買うつもりで商品を手にしたとき、迷ったらやめることにしている。この感覚は微妙なので言語化しにくいけれど、しまったと思うことは少ない。大抵はすぐあとにもっといい商品が見つかったりする。
そんな直感を動かしているものはなんだろう? そのことについてわかりやすく書かれた記事を読んだ。
読み応えのある面白い記事だった。人間がどれほど直感を頼りにしているかがよくわかる。むしろほぼ直感を使っていると言ってもいいほど。
スイスの科学者がある実験をした。テレビゲームの船長のキャラを写真から子供に選ばせた。写真のイメージだけなので、子供は直感で判断するしかない。
実はその写真は、選挙に立候補した人たちのものだった。面白いことに、子供がゲームのキャラとして選んだ写真と、大人たちが選挙で選んだ人物の1位と2位が一致したそう。大人は候補者の政策を聞いて理性的に選んでいるはずなのに、結果は子供の直感と同じというのが面白いよね。
この記事のインタビューに答えている脳科学者は、人間が理性と呼んでいるのは氷山の一角でしかないと説明している。ある選択肢を前にして、大人は理論的な思考によって決めたと思い込んでいる。だけどそれは氷山の上に出ているほんの一部を見てそう感じているだけ。
最終的に選択をあと押ししているのは、見えない部分の影響によるものとのこと。それが直感と呼ばれているものの正体。
そしてその直感はどのようにしてやってくるのか。それは『感情』とのこと。
ボクが最初に書いた『迷い』も感情の一種だよね。なんとなくだけれど、その商品に違和感を覚えてしまう。逆に客観的にはイマイチの商品なのに、欲しくてたまらないと感じることもある。それは感情によるメッセージなんだと思う。
つまり日常生活で直感をよりよく活かそうとするならば、感情を豊かに維持する必要があるということ。だから小説を読んだり、映画を観たり、音楽を聴くのは、人間にとって思っている以上に大切なものかもしれない。
そして普段から、感情を押さえ込まないようにするべきなのかも。もちろん感情をさらけ出して、周囲に人たちに迷惑をかけるのはマズい。でもできる範囲で自分の感情に素直になることは大切だと思う。
悲しいのにそうでないふりをしたり、怒っているのにひたすら耐えたり、うれしいのに喜びを抑えるような生活をしていたら、直感が機能しなくなってくるような気がする。そして理詰めで考えることに執着して、意に沿わない結果を招いてしまうことになる。
記事のタイトルにある『直感をバカにしてはいけない』という言葉を、いつも忘れないようにしたいと思った。
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