環境に左右されない人間の本質
『御里が知れる』という言葉がある。言葉や振る舞いに、その人の生きてきた環境がにじみ出るという意味。どちらかといえば、他人を揶揄する意味で使われることが多い。
たしかに環境が人間に与える影響は大きい。スラム街や内戦が絶えない場所で育った子供と、裕福で平和な家庭で育った子供とでは、その後の人格形成に大きなちがいが出るのは仕方ない。環境に適応しないと生きていけないんだから。
だけど悲惨だと思われる地域で生きてきた人が、すべて同じ性格を持っているわけじゃない。持って生まれた心の優しさや、他人を引きつける魅力を有している人がいる。そうした人間の本質は、基本的に変わらないじゃないかと思う。
過酷な環境でねじ曲げられてしまうことがあっても、核の部分はその輝きを失っていないと思う。そんなことを感じさせてもらえた映画を観た。
『マイ・フェア・レディ』という1964年のアメリカミュージカル映画。
ボクはオードリー・ヘプバーンのファンなんだけれど、なぜかこの映画を観たことがなかった。有名な作品なのでタイトルは知っているし、いい映画だという評判も耳にしていた。たまたま縁がなかったんだろうなぁ。
今日初めて観て、評判の高い理由がわかった。人間ドラマとしても、ミュージカルとしても、とても素晴らしい作品だったと思う。カメラワークも独特な雰囲気で、この映画独自の世界観に引き込まれてしまった。たしかに名作だよね。
イライザという花売り娘は、貧しい環境で育ったので素行も口も悪い。ところがひょんなことから、著名な言語学者であるヒギンズと友人のピカリング大佐の賭け事に巻き込まれる。
イライザに正しい言葉づかいやマナーを教えることで、イギリス社交界で通用するレディーにできるかどうという賭け。そもそも無茶苦茶な設定だよね。一人の女性の人生をもてあそんでいる。さらに女性はこうあるべきだ、という当時の男性による女性蔑視感がもろに出ている。
ただそのあたりを差し引いでも、かなり面白い作品だった。どうしようもないとしか思えないイライザが少しずつレディーになっていく姿に感動したり、爆笑したりできる。そして最終的にはペンシルバニアの皇太子にダンスを誘われるまでになる。
この映画を観ていて思うのは、イライザがもともと光り輝く本質を持っていたということ。貧しい環境で暮らしたことでその本質は曇っていたけれど、ヒギンズの指導を受けて本来の輝きを取り戻しただけなんだろうな。
そのことを証明するかのように、トラブルでヒギンズの家を出たイライザをヒギンズは必死になって探す。花売り娘だとバカにしていたのに、いつしか彼の人生にとってイライザは欠かせない存在になっていた。それは彼女の本質に触れたからだろうなぁ。
3時間近くある作品だけれど、ほとんど笑いながら時間を感じないで過ごせた。もっと早くから観ておけばよかったなぁ。
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