孤高の天才なんていない
どれほどの天才であっても、たったひとりで何かを成し遂げる人はいない。
天才と狂気は紙一重と言うほどだから、他人との関わりを否定した天才は狂気と呼ばれるんだろう。孤独は魔を呼ぶのかもね。
逆に言えば歴史に名を残す天才の周囲には、多くの人が関わっている。
ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズが私に教えてくれた「大切なこと」
伝記作家が書いた記事。イノベーションというのは、ひとりの天才から生まれないことが語られている。
このタイトルにも出ているスティーブ・ジョブズは、まさにその代表だと思う。ボクは彼の伝記を読んだし映画も観ている。それで感じたのは、スティーブ・ジョブズというのは、Appleという企業に関わった人たちの集合意識だということ。
スティーブ・ジョブズはたしかに天才だったと思う。だけど彼の天才としての資質は、他人の技術や影響力をコラボレーションすることに注がれていた。強烈なリーダーシップを取ることで、周囲の人を巻き込んでいったんだと思う。
それゆえ風当たりも強い。彼を憎んでいた人も多いし、家族たちは尋常ではない苦労を強いられている。現在のAppleのCEOであるティム・クックは、そうしたアクの強さが見られない。成長した企業にとってそのほうが安定飛行できるんだろうけれど、新しいものが生まれにくい土壌に変わってしまったのかもしれないね。
先日、認知学者が書いた本を読んだ。そのとき強烈に感じたのは、人間の知恵や知識というものは、個人の能力だけを観察するのは不十分だということ。大勢の人間が集まることで個人の能力が統合され、集合意識的な変容を遂げていくんだと思う。
だから天才というのは、その変容を刺激する触媒なんだと思う。特にネットが普及した現代社会においては、情報の共有が進んでいる。たったひとりの天才が何かを成し遂げたという例を見つけるのは難しくなってきた。
ノーベル賞の受賞者を見ればわかるけれど、科学分野における単独受賞というのは確実に減っている。数十年前の研究結果によるノーベル賞でさえそうなっているんだから、現在の科学的な発見は、共同研究の成果であることがほとんど。
そしてこれは企業にも言える。FacebookやGoogleという大企業は、スタートアップでイノベーションを起こそうとした会社を次々と吸収している。誰も気づいていない新しい発想が、既存の大企業によって具現化されていく。現代社会はコラボレーションなしには成立しないと思う。
人類というのは、個人意識から集合意識へと移行しつつあるんじゃないだろうか? それは分離から統合への道であり、究極はワンネス意識の完成のように思える。そしてそれが完成しないと、犯罪や戦争がなくなることはないんだと思うなぁ。
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