他人の時間を奪う怖さ
もしあなたが憧れの有名人に会えるとしよう。1時間だけ二人きりになれるとする。さて、あなたはどうする?
ボクが最初に思うのは、相手の時間価格。著名人は分刻みで動いている人が多い。そして時間単位で彼らが生み出す価値は一般人の想像を超える。
わかりやすく例えよう。会いたい人物が1時間で100万円稼ぐ人だとする。つまりボクと会うためには、相手にとってそれだけの価値があるかどうか。
相手に対して100万円以上の価値を提供できる自信がないなら、ボクはどれだけ会いたい人でも遠慮する。相手の貴重な時間を奪っていると思うと耐えられないから。それほど他人の時間は貴重だということ。
そのことについてわかりやすく書かれている記事を読んだ。
「初めまして」で質問攻め……他人から「親切搾取」していませんか?
ドイツ在住のフリーライターの方が書いた記事。ドイツに住んでいるということだけで、留学やビザに関する質問がブログに押し寄せてくるそう。外務省の人間でもないのに、正確なことは答えられないことが多い。それで困り果てて、ブログの冒頭にこのような言葉を記された。
「留学アドバイス、ビザサポートなどは行っておりません」
そりゃそうなるよね。ブログの内容に関係なく、まるで便利屋のように質問されても困る。著者も最初は分かる範囲で返答していたそう。だけど貴重な時間を取られてしまうことに悩み、このような文言を付け加えることになった。
ボクのようなブログでも、数は少ないけれど同じようなことがある。体外離脱や明晰夢に関して質問をされる人がいる。ボクの経験内で答えられることは、できるだけ答えようと思っている。
だけど困るのは、まったく自分で実行しようとしない人の質問。質問のためだけの質問をする人がいる。なんらかのアクションを起こした結果、その過程で生じた疑問や質問には答えられる。だけど何もやろうとしていない人に質問されても、とりあえずやってみてください、としか言えない。
そういう人に共通しているのは『依存性』の強さ。自分で考えようとせず、すべてを他人に丸投げしてしまう。自分なりに考えたり行動した末に質問するのではなく、最初からすべて教えてもらおうとしている。
このことによって、実は思っているより大きなものを失っている。
ひとつは他人の時間。最初に書いたように、質問をしたり会おうとすることは、他人の時間を奪っている。それに見合うものを提供できていないのならば、この記事の著者が言っているように「親切搾取」ということになる。
そしてもうひとつ大きなものを失っている。それは自分で考えるということ。経験するということ。もがいて苦労するということ。これほど貴重なものを放り出していることになる
安易に他人に質問したり会おうとすることで、奪っているのは他人の時間だけじゃない。自分にとっても貴重な時間を同時に失くしている。アドバイスを受けることは貴重だし、それが必要なときもある。だけどまずは自分でやってみないと、考えてみないと。
他人に全面的に依存する習慣がついてしまうと、自分の人生を他人に預けてしまうことになる。そしてうまくいかなくなると、社会や他人のせいにする。そうなると負のスパイラルに取り込まれていくだけ。
自分の頭で考えて行動することは、そうならないための唯一の方法だと思う。
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