生を拒むなんて悲しすぎる
自分のなかの定説がひっくり返ることは、まれにあるから面白い。今日は久しぶりにそんな経験をした。
ボクは映画と原作を見比べることが多いけれど、たいていは原作に軍配があがる。これは大量の文字情報をぶつけてくる原作とちがって、映画には時間の制約がある。だから最初から不利な戦いなのは事実。
だけど今日観た映画は、素晴らしいと思っていた原作を超越する『何か』を持っている作品だった。
『グリーンマイル』という1999年のアメリカ映画。この映画は過去に何度か観ている。そしてそのたびに感動の涙をこぼしている。今日も同じだった。
それが今年になって初めて原作を読んだ。そして思った。やっぱり原作はすごい、と。有名な作品なのでストーリーは省くけれど、この作品は死刑というものがテーマとして取り上げられている。
ボクが死刑制度に反対なのは、現状の法整備では冤罪を完全に排除できないから。そしてこの映画では、その冤罪によってジョン・コーフィーという黒人男性が死刑を執行される。彼が冤罪であることを知っていたのは、死刑を執行した刑務官たちだけ。
ジョンは犯罪者どころか、刑務官本人や家族の命を救った恩人だった。奇跡的なヒーリング能力を持っていて、不治の病だって治すことができる。死刑判決を受けることになったのは、殺されている二人の少女を生き返らせようとしていたから。ただ遅かったので間に合わず、そのうえ犯人に仕立て上げられてしまった。
原作では登場人物たちが真実に迫っていく過程が、とても詳細に描かれている。さすがスティーブン・キングだと思った。
ところが久しぶりにこの映画を見直してみると、その完成度の高さに驚いた。たしかに情報量は原作に比べて圧倒的に少ない。それでも3時間とい長い作品にすることで、かなり原作に忠実な作品となっている。
過去に観たはずなのに、なぜいまになって映画のほうが素晴らしいと感じたのだろう? その理由を考えてみた。
その結果ボクが到達した結論は、俳優さんたちの演技ゆえだということ。主演のトム・ハンクスを筆頭に、出演陣の演技が素晴らしい。映画しか知らないときはわからなかったけれど、原作を読むことで登場人物の背景を詳しく知った。
そのうえでこの作品を観ると、セリフやストーリーでは語られていない登場人物の背景や人間性が、俳優さんたちの演技によって表現されていた。これは出演者が原作を読み込んだ結果かもしれないし、演出した監督が原作を深く理解していたのかもしれない。
正解はわからないけれど、脚本のセリフにはない人間的な部分を、映画の制作スタッツが心を込めて盛り込んだんだと思う。原作の登場人物たちが、映像によって完璧に具現化されていた。原作を読んだからこそ、彼らの深い演技を感じ取れたのかもしれないね。
感動の涙が止まらない作品だけれど、切なくて悲しい物語でもある。冤罪だと確信した刑務官たちが、ジョンを刑務所から逃がそうとまでする。だけど彼は死刑を選択する。これ以上こんなひどい世界にいるのに疲れた。彼はそう言って電気椅子に向かう。
神の使いのような人物が生きることを拒む社会だなんて、あまりに悲しすぎる。それは1935年という世界恐慌ゆえのことでじゃない。もしかしたら現代にジョン・コーフィーがいても、同じことを言うのではないだろうか。ボクにはそう思えて仕方ない。
生きることを望めない社会なんて、あってはならない。ボクたちはどうにかしなくちゃいけない。この映画や原作に触れると、いつも強くそのことを想う。
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