壮絶すぎて言葉にならない
戦争や想像を絶する自然災害が起きたとき、その経験を次の世代に伝えることは大切だと思う。同じことを繰り返さないためにも、出来事の風化を危惧する人たちの気持ちは理解できる。
ただそうした情報は数多く配信されるので、経験していない世代はどれに触れていいのかわからない。どれもが同じような気がしてきて、あぁこんなことがあったんだ、で終わってしまう。
ボクの世代も、第二次世界大戦に関しては同じだと思う。戦争の悲惨な体験を見聞きしたことはある。それは戦地に立った兵士たちの経験だけでなく、空襲を受けたり食糧不足に苦しむ人たちの経験談もあった。だけどひととおり耳にすると、経験していない世代にはどれも同じように感じてしまうもの。悲しいけれど、それは仕方ないのかもしれない。
ところが世の中には知られていないものがある。特に外国に関するものは、日本人の耳に入りにくい。いや、その当事国でも知られていなかった経験談が書かれた本がある。ボクはその本を読んで、戦争の恐ろしさを改めて思い知らされた。
涙なしには読めない本だし、その生々しい声に動揺した。そして同時に、できるだけ大勢の人にこの本を読んで欲しいと思った。それはボクたちの世代だけじゃなく、いまの子供たちにも。そして戦争というものについて、本気で考えて欲しいと願った。
『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシェービチ著という本。
著者は1948年の戦後にウクライナで生まれた。まだソ連だった時代。だから彼女の経験ではなく、何百人という戦争に関わった人たちのインタビューによって構成された著作。
著者は2015年にノーベル文学賞を受賞していて、この作品は彼女の処女作。といっても小説ではなく、戦争を経験した人たちの生の声が集められている。
それらの声を発しているのはすべて女性。女性の立場から見た第二次世界大戦が語られている。なぜ元ソ連でこんな本ができたのか?
当時のソ連では本人が希望すれば女性も最前線に送られてドイツと戦っていたから。女性の参戦といえば看護師や医師のイメージが強いだろう。でもそれだけじゃない。その多くは兵士として銃を持って前線に向かっている。
そのなかには100人近いドイツ兵を射殺した狙撃手もいる。戦闘機のパイロットもいたし、大砲の打ち手もいた。資料によると、なんと100万人もの女性が第二次世界大戦のソ連軍にいた。これは日本では考えられないことだよね。
ボクはあまりに衝撃的すぎて、それらのエピソードをここで語れない。まだ17歳から30歳くらいの女性が、男性用の下着や軍服で戦闘に参加していた。生理用品も与えられないので、その苦悩がどれほどのものか男でも想像できる。
男が語る戦争は出来事そのものが多い。ところが女性が語る経験は、女性らしい感情を伴っている。だから読んでいるだけで自分が戦地にいるような気持ちになってしまう。ゆえに戦争の恐ろしさが痛いほど伝わってくる。
もちろん女性だからおしゃれだってしたいし、恋もする。そんな気持ちもこの体験談からにじみ出ている。そしてソ連という共産国ゆえの苦悩もあった。せっかく生き延びて生まれ故郷に帰っても、地元の人たちから歓迎されない。
男の世界で戦っていた女性だというだけで、まるで多くの男性と関係を持っていたかのように思われ、結婚も就職もできなかったそう。そのために勲章を辞退したり、戦地にいたことを隠していた女性も多いらしい。怪我をして障害を負っても耐えていた。だから彼女たちの声がソ連の人たちにも届かなかった。
どうしても彼女たちの声を届けたくて、著者はこの本を出版したんだと思う。彼女たちたどれだけ純真な思いで戦地に向かったのかを知って欲しかったから。
とにかくボクがどうこう言っても意味がない。一人でも多くの人にこの本を読んで欲しい。特にこれから社会へと出ていく若い人たちに。
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