始めなければ終わらない
こうして夕方のブログを書いているけれど、何について書くかを決めていない。こういうことはたまにある。だから『今』の段階ではタイトルも白紙。
それでも時間になったらこうして文字を入力している。そうすればどうにかなると知っている。
なぜなら視点を未来に置いているから。『今』の段階では未完成であっても、少なくとも1時間後にはブログを書き終えていると確信している。内容の出来は別にして、なんらかの文字を入力し終わっているはず。
この感覚は小説を書くようになって身につけた。プロットを考えて書き始めても、行き詰まることがある。物語が停滞してきて、どう進めていいのかわからなくなる。そんなときには意識を数ヶ月先に持っていく。
そこは小説が完成している時空。だから絶対にできると信じられるし、『今』というのはその過程でしかないことを感じられる。なぜそう信じられるのかと言えば、この世界には必ず始めと終わりがあるから。
物理法則の原則として、この世に永遠というものは存在しない。すべては常に変化していて、この世界を流転している。諸行無常とはまさにそのことを指している。そして時間の世界に制約されている宿命として、必ず始めがあり、いつか終わりがやってくる。
初めて水を飲んだ日があれば、最後に水を飲む日もある。初めてキスをした日があれば、最後のキスも存在する。そして初めてこの世界に生まれた日があり、やがてこの世界を去る日もある。
だけど『終わり』を信じられるようになるためには、重要な法則がある。これは絶対に避けることのできないものであり、この世界を成り立たせている法則でもある。それが何かわかるだろうか?
『終わりを迎えるためには、始めなければならない』ということ。
じっとして動くことがなければ、何も始まらないし終わらない。ただ無為な時間が過ぎていくだけ。何かを終わらせようと思ったら、始めなければ終わらない。ボクがいま1日置きにやっている大掃除もそうだし、小説を書くということもしかり。
グダグダ考えていないで、まずは始めることが大切。そうすると必ずいつか終わりがくる。うまくできるかどうかなんて関係ない。失敗したと思えば、また始めればいいだけ。そうすれば次の終わりがくる。
だから書くことが思いつかなくても、ボクはこうしてブログを書き始める。ほらどうだろう? どうやらそれでも終わりを迎えたらしい。この瞬間が来るのを知っているから、始めることができた。
この分量で時間にして約15分で、文字数は1000文字を超えている。20分前のボクの頭は真っ白だったんだけれどね。そしてタイトルも決まった。
『始めなければ終わらない』にしよう。これはボクにとって、何よりも大切な言葉だと思う。
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