へ理屈だけど、一理ある
世の中には、へ理屈を得意とする人がいる。一般的にクレーマーと呼ばれる人は、適当な理屈を並べ立てるもの。
だけど文句を言いたいだけの理屈ではなく、その根拠にうなずけるものがあれば、へ理屈とは言えなくなってくる。
アメリカでユニークなへ理屈を言い出した人物がいる。認められないのは明らかだけれど、その根拠に一理あるのを感じてしまった。
蘇生した受刑者、「一度死んだ」として終身刑満了訴えるも棄却 米
アメリカのアイオワ州での裁判。66歳の男性受刑者は、殺人の罪で仮釈放なしの終身刑を受けている。死ぬまで刑務所にいるしかない。
ところがこの受刑者は腎臓結石を患って敗血症となり、病院へ運び込まれた。症状は思わしくなく、心肺停止によって5回も蘇生措置を受けた末に一命を取りとめている。
そこでこの受刑者は裁判を起こす。「一度は死んだから、終身刑は満了している」という理屈。
へ理屈なんだけれど、一理あるよね。ちょっと笑ってしまった。本人にすれば仮釈放が認められない状況だから、かなり真剣な訴えだろうけれどね。
もちろんこの訴えが認められるわけはない。終身刑が満了しているということは、死者になっているということ。だけど死人に裁判は起こせない。だから判事はこう述べている。
「生きているなら刑務所に収監され続けなければならないし、死んでいるならこの訴えは意味をなさない」
まぁ、そうだろう。妥当な判断だと思う。それでも臨死状態を経験した受刑者の気持ちは、なんとなくわからないでもない。殺人という重い罪を犯しているわけだから極刑は致し方ない。
だけど同じ終身刑でも、仮釈放が認められる場合もある。彼の場合はそれさえも望めないのだから、この状況にすがりつきたいのは当然だろう。
茶番のような裁判だけれど、『終身』という言葉の定義を見直すいい機会になったんじゃないだろうか?
犯罪に対する罰則は当然。死刑制度が見直されている現状では、仮釈放なしの終身刑という量刑が増えていくかもしれない。つまりその人は、更生が期待できないということだよね。やり直しのチャンスは二度とない。
そう思うと少し切ないものを感じる。もちろん被害者やその遺族の立場を考えたら、当然の報いであるのは明らか。それでもこの記事を読んで、どこかモヤモヤしたものを感じてしまった。
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