思考停止という悪癖
今日のボクは大晦日気分だ〜〜! すでに1年が終わったような感覚に満たされている。
なぜなら、今年の大掃除が今日で終わったから。先月の16日から始めて、1日置きに2時間弱を続けた。ほぼ1ヶ月かかったなぁ。毎年それなりにスキルアップしていくので、多少は楽になる。その分、経年劣化で取れない汚れもあるので、なかなか完璧とはいかないけれどね。
とにかく終わった。もうこれで年内は毎日の掃除をするだけ。楽勝やん! これからは大掃除をしている人の苦労をTwitter等で傍観したり、テレビで掃除関連のCMを見ながら優越感に浸ることができる。悪趣味だけれど、これは毎年のちょっとした楽しみでもあるんだよねwww
そしてもうひとつ終わった感のある理由が、昨日で歯の治療が終わったこと。先月の11日に定期検診で治療が決まり、18日からスタートした治療がようやく終わった。こちらもほぼ1ヶ月かかってしまった。
つまり大掃除と歯の治療をほぼ同時に始めて、ほぼ同時に終わったということ。だから何もかもが終わった気がして、今日の午後からは年末のような気分になっている。
普段の掃除は頭を使わなくても、勝手に身体が動く。だけど大掃除というのは普段はやらないことをやるので、大いに脳を使う。そして思ってもいない気づきを得ることがある。
今年の大掃除で気づいたことがある。人間は放置しておくと思考停止する生き物だということ。波乱よりも安定を求めるのは、動物としての本能だろう。それゆえ、現状を変えようということにエネルギーが向かない。思考停止することで、変化に関して心を閉ざしてしまう。
そう思ったのは、ある場所の物の配置を変えたこと。大掃除なので普段は使わない脳のどこかが働いたんだと思う。あまり機能的に思えなくなって、試しに配置を変えてみた。そうしたらめちゃくちゃ使いやすくなった。
冷静に考えたら、すぐに思いつくはずの配置転換なんだよね。ところが安定を求める心が、それを邪魔してしまう。現状を変えたくないという本能によって思考停止してしまう。だからそんな簡単なことにさえ気づかなかったんだろう。
人間にとって思考停止は、すでに悪癖のようなものだと思う。クセになっているので、無意識にやってしまう。だから『当たり前』を疑う心を働かせるようにしないと、効率の悪い生活を何も考えずに継続していることになる。これはヤバいよねぇ。
大掃除のような不定期な出来事を挟むことで、自分の思考停止をチェックできると思った。ただぼんやり過ごしていると、もっといい方法があるのに、思い込みの『当たり前』に固執しているかもしれない。そんな状態を打破するには、やはり思考停止を解除するしかない。
今回の大掃除で、そのことを強く感じた。これからは定期的に、自分の「当たり前』を見直していこうと思っている。
ブログの更新はFacebookページとTwitterで告知しています。フォローしていただけるとうれしいです。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
『第1回令和小説大賞』にエントリーした小説を無料で読んでいただくことができます。くわしくはこちらからどうぞ。