夢は死後世界の証明かも
先日、明晰夢を見たときに自分で笑い転げてしまった。
最初は夢だと気づかなかった。すでに故人である父が、実家のリビングにいた。食欲がないとのことで、かなり辛さそうな表情をしていた。
「なんでもええから食べんと、そのうち死んでまうで」とボクは元気づけるような気持ちで言った。
「そうやな、なんか食べな死んでまうな」と父が笑って答えた。
その直後に夢だと気づいた。そして思わず自分で一人ツッコミをやってしまった。親父、もう死んでるやん〜〜!
すぐに目が覚めて、しばらく自分のバカさ加減に笑いが止まらなかった。亡くなった父親に対して、「もう死んでるやん〜〜!」というツッコミを入れるなんて。そう思って笑いながら、そのことについて考えていた。
そういえば普通の夢を見ているとき、亡くなった人に会うことがよくある。ボクが祇園の芸舞妓事務所で働いていた当時のお茶屋さんの男性役員さんは、今ではすべて亡くなっている。
ところがいまでも彼らの夢をよく見る。そして死んだとは思わず、まったく普通に会話している。街で偶然に会ったかのように、久しぶりですね、なんて普通に声をかけている。この世にいない人だなんてまったく思いもしない。
このことを妻に言ってみると、同じ経験をすると教えてくれた。亡くなった人と違和感なく会話しているだけでなく、健康状態を心配したりしているそう。おそらく同じことを経験している人は多いと思う。
ところが明晰夢だと、相手が亡くなった人だという自覚がある。だからそのことを前提にしてボクは会話をしている。ボクの意識が大半が現実世界に存在しているからだろう。
ここから考えられることとして、『夢の世界に死者は存在しない』という仮説を立てることができる。夢の世界には時間も生死もない。もし夢の中で相手が故人だと思い出したら、自分が夢を見ていることに気づくはず。
つまり通常の夢の世界では、死者という概念の存在しないことがデフォルトなんだと思う。そしてそれは、死後世界が存在することの証明にならないだろうか?
論理が飛躍しているのは自分でもわかっている。でも夢を見ているときに死者を死者として扱わないことに関して、言葉にできない直感的な真実性を強く感じる。この事実に『何か』が隠されているような気がしてならない。
現実世界で死者と会ったら幽霊だと思うように、もし夢の中で亡くなった人に会ったことを自覚すればオカルト的なことが起きていると思うはず。でなければ夢だと気づいて明晰夢に移行するだろう。
だから夢の中では、普通に生きている人と同じように接している。そのことに疑問を持たない。それが当然のことだと思っているからじゃないだろうか?
もし今度明晰夢で故人に会ったら、なぜ普通の夢であなたちを死者だと思わないのか尋ねてみよう。覚えていたらねwww
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