自殺について思うこと
日本における自殺者の総数は減っているらしい。ただし、ちょっと気になるデータが出ている。
厚労省の発表によると、2019年の自殺者は統計を取るようになって初めて2万人を切ったとのこと。自殺は経済の動きと連動している。
リンク先の記事にアップされたグラフによると、バブルがはじけた90年代後半から自殺者が増えだし、1998年には3万人を超えた。そのまま2010年くらいまでは3万人を超えている。
だけど経済がやや持ち直したころから自殺者は減り、ようやく昨年になって2万人を切った。もちろん自殺と認定されている数だから、行方不明者等を含めるともっと多いかもしれないね。
ただ気になるのは、全体として減っているのに10代の自殺は増加していた。その理由についてこの記事で推測されている。
主に二つ。ひとつは少子化によって子供に過度の期待がかけられていること。警察の発表によると10代の自殺の理由は、イジメよりも学業の成績不振や親の叱責によるもののほうが多いとのこと。大人が考えている以上に、子供たちはプレッシャーを感じているのかもしれない。
もうひとつは自殺サイトへのアクセス。ネットが生まれたときからある世代なので、そうしたサイトに自殺志願者が集まることによって、具体的な行動へと至るケースが増えているらしい。
データ分析としてはこのような推測ができるのだろう。ただ自殺の理由はひとくくりにできるものじゃないと思う。個々のケースによって事情がちがうので、こうすれば防げるという特効薬的なものはない。
まずは大人たちが自殺について、どこまで深く考えているかが大切。ただ自殺はダメだ、では子供に通じない。大人が自分なりに確固たる意見を示せないと、子供に対して説得力のある言葉をかけられない。単なる一般論として聞き流されてしまうだけ。
だけど大人だって答えの見えない問題であることは事実。ボクもこうして書きながら考えをまとめているけれど、具体的に言語化するには困難しか見えない。自殺という言葉に対して、どの範囲まで考察するかによって答えがちがってくる。
ボクの考えは少し偏っているかもしれない。すべての人間は自殺していると思っている。自分の死に方、死ぬ時期を決めていて、それにしたがって生きているようにしか思えない。だから病気であれ、交通事故であれ、決められたとおりにことを運んでいるように感じる。それってある意味潜在的な自殺じゃないだろうか?
そうした前提で自殺について考えると、真っ向から否定する気持ちになれない。不治の病気による苦痛ゆえに安楽死を求める人に対して、自殺してはいけないなんて言葉をかけることはボクにできない。
いまのボクが子供の自殺を防ぐために何かを伝えるとしたら、小説という方法を使うしかないと考えている。自分が精一杯生きることで、いつか出会う人が必ずいる。もしかしたら生まれる前にその人たちと約束しているかもしれない。そしてあなたを助けてくれたり、あなたの助けを待っているかも。
だからその約束を果たせるまで生きてみよう。そんなふうに感じてもらえるような物語を書きたい。理詰めで説得するんじゃなく、物語を通じて生きることの意義を感じて欲しい。それが小説や映画の持っている役割だと思う。
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