戦国時代に黒人の武将がいた
録画時間がダブってしまう関係で、まだボクは今年の大河ドラマである『麒麟がくる』の初回を観ていない。土曜日の再放送を録画予約しているので、基本的に周回遅れで追いかけることになるだろう。かなり視聴率が良かったそうなので、これからが勝負だよね。
ドラマの主人公である明智光秀が生きていた500年ほどまえ、同じ織田家にアフリカ出身の武将がいた。ボクは戦国時代オタクなのでそのことは知っていたが、その武将を主人公としたハリウッド映画の制作が進行中なのは知らなかった。これはめちゃ楽しみ!
アフリカ出身の侍がいた 戦国時代の数奇な人生、ハリウッド映画へ
その黒人は弥助と呼ばれていた。イエズス会のイタリア人宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノの視察旅行に同行して日本を訪れたのが1579年。京都では彼を一目見ようと民衆たちが大騒ぎになり、群衆に押し潰されて死ぬ人が出たらしい。
徳川家康の家臣である松平家忠の日記によると、「肌は墨のようで、身長は6尺2分(約182センチ)」と書かれている。当時の日本人にすれば、見上げるような大男だった。これは映画のシーンとしても絵になるよなぁ。
この弥助、驚くことに来日して1年ほどで織田家の武将として取り立てられている。日本語も話せるようになり、アフリカの踊りも堪能だった。それで織田信長に気に入られ、身近に弥助をおいたという記録が残っている。
ボクもその程度のことしか知らない。とにかく謎の多い人物。それだけに物語にはなりやすいよね。ある説ではイタリア人の奴隷だったという説もあるそう。だけどわずか1年で武士に取り立てられる技量があったから、奴隷説を疑う声も多いらしい。
彼の最後は不明。ボクもそのあたりはくわしくない。このリンク先の記事によると、本能寺の変のときには信長と一緒にいたらしい。それほど弥助は信頼されていたのかも。
そして信長の自害に立ち会ったのち、どうやら織田家を追放になったとのこと。追放したのが明智光秀なのか羽柴秀吉なのかわからない。どちらにしても、黒人の武将を受け入れることができる器量があるのは信長だけだったのかもね。
その後はイエズス会に戻ったと見られている。ドラマ的には本能寺で光秀と戦い、果敢に戦って討ち死にするほうが効果的なのかな?
とにかく映画化されるならぜひ見たい。ただし配役は慎重に。戦国武将たちは日系の俳優さんではなく、日本人の役者さんを使ってほしい。英語も弥助と宣教師たちの会話以外は厳禁にしてほしい。信長に英語でしゃべらせるようなバカなことをしないでよね。
そして当時の日本文化を知る時代考証の専門家をつけること。でないと悲惨な映画になってしまう。もし黒澤明監督が生きておられたら、ハリウッドの資本で彼に監督をしてほしいと思うほど。お願いだから外国の人が日本文化を誤解するような作品にしないでほしい、と切に願っている。
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