死んでもこの世に残せるもの
ようやく新作小説にめどがついた。タイトルも決まったし、どうにか原稿も送れる状態まで持ってこれた。本音を言えばもう少し推敲したいところ。でも時間的に中途半端になりそうなので、キリをつけようと思う。
ということで昨夜は貯まっていたドラマを観た。大河ドラマ1本と『スカーレット』の最終週の6本。ついに『スカーレット』が終わってしまった。
この最終回のラストシーンよかったなぁ。ボクはこの夫婦が大好き。夫婦といっても離婚したままだけれどね。陶芸家としての自分の限界を超越した喜美子。そして対照的に自分の壁を越えられなかった八郎。この二人の対比がとてもよかった。
ひとり息子の武志が白血病で26歳という若さで他界した。この最終週の1日目、八郎が作った卵焼きをきっかけに、武志が八郎にからむシーンは迫力あった。息子に向かって「僕を越えたよなぁ」と言った八郎に、「お父ちゃんはそれで悔しくないんか!」と食ってかかった。
ドラマの八郎は黙っていたけれど、最初の脚本では武志に自分の想いを述べたそう。脚本を書かれた水橋さんのインタビューによると、尺の関係で泣く泣くカットされたらしい。でもこのシーンで、八郎は長崎に引っ越して陶芸家として再挑戦すると喜美子に宣言する。それは亡くなった息子に向けた言葉でもあるんだろうね。
そして、やっぱりこのシーンが最高だった。
喜美子が息子をハグするシーン。思い出しても泣けてくる。この直後にナレーションに変わり2年後になった。そこに武志の姿はない。だけど工房に立つ喜美子の前に、武志が残した作品が並んでいる。
『ものを創る』というのはこういうことなんだろう。人間は必ず死ぬ。長くても100年くらい。だけど創造されたものは、状態によってはもっと長くこの世にとどまる。このドラマの最終回を見て、物づくりの真髄を見せてもらえたような気がした。
死んでもこの世に残せるものを創りたい。
それは陶芸であっても、音楽であっても、そして小説であっても同じ。それこそが創造の持つ喜びであり、人間を輝かせる不滅のエネルギーなんだと思う。
小説をひとつ書き終えてから、ドラマの最終回を見ることができてよかった。モチベーションが上がるよなぁ。さて、また次の作品に取りかかるとするか。
ブログの更新はFacebookページとTwitterで告知しています。フォローしていただけるとうれしいです。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。
コメント (0件)
現在、この記事へのトラックバックは受け付けていません。
コメントする