時間は錯覚を生み出す規則
ボクの持論として、時間=記憶というものがある。さらに突き詰めれば記憶=自我であるから、時間=自我と言っていい。
人間は過去に戻ることも、未来を生きることも無理。常に『いま』しかない。この世に生きている限り『いま』という瞬間しか体験できない。過去は思い出であり、未来は想像でしかない。
つまり時間というものは、個人の自意識が存在するから成り立っている。そのことを証明してくれる実例がある。
人間には体内時計がある。それを正常に働かせるのは、朝日が上り、1日の半分をかけて沈んでいくから。日照によって体内時計のスイッチが入ると言われている。
だけど地球にはそうした時間を感じられない場所がある。それが北極。
世界中の時間を決めているのは緯度とのこと。ところが北極点近くには緯度が存在しないので、時間というものを感じられない。夏には白夜、冬には極夜となって、1日の始まりと終わりがない。そこで生活していると、独特な感覚になってくるそう。
北極は南極のような大陸がないので、基本的に船で過ごす。朝も昼も晩もないから、船では決まった時間にモーニングコールが流れて1日が始まる。そうしてスケジュールをこなしていくらしい。それがどのような感覚かと言えば、
『時間は「秩序」の錯覚を生み出すために定められた規則にすぎない』とのこと。
この感覚は実際に過ごしてみないとわからないだろう。とりあえずモーニングコールに合わせて過ごしているけれど、同じ毎日が続いているようにしか感じないらしい。たとえばカレンダーの『12月』というものが、単なる作り物でしかないと思うそう。
毎週日曜日だけ焼かれるパンの香りがするとき、ようやく時が進んでいることを感じられる程度。時間というものが、どれほど心理的要素の強いものなのかわかる。任務を終えて自宅に戻るとこんな感覚になるらしい。
「北極で過ごした後、自宅で犬にエサをあげるという「お気に入りの時間」を過ごしながら、時間は数字やタイムゾーン、地球が回った回数で決まるのではなく、『自分自身の経験』によって決まる」
まさに時間=記憶であり、時間=自我なんだと思う。
だから人間にとって大切なのは、過去を足かせにしたり、心を未来への不安で満たすのではなく、『いま』を全力で生きることだと思う。ウイルス騒動で大変な時期だからこそ、より深く『いま』を直視するべき。とにかく、『いま』やれることをやっていくしないよね。
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