怒りと許しの分岐点はどこ?
誰かに対する怒りが、許しへと変わる分岐点はどこにあるのだろう?
殺人の被害者家族や、列車の事故で亡くなった人たちの遺族が、その出来事からかなりの時間が経過しても、まるで昨日の出来事のように怒りを表明しているのを見ることがある。
ボクはそんな辛い経験をしたことがないから、その人たちの気持ちに意見をする立場にない。経験者しかわからないことがあるはずだから。だとしても、怒りや憎しみという感情が、どれほど多くのエネルギーを要するかについては想像できる。
怒りでアドレナリンが全身を駆けめぐっているときは、どんな距離でも歩けそうな気がする。それほどの強いエネルギーだということ。だけどそれは強すぎるゆえ、人間のエネルギーを食い尽くしてしまうように思う。だから怒りを許しへと変換していかないと、その人の肉体がもたないのではないだろうか。
でも怒りを許しへと変えるためには、なんらかのきっかけがいるはず。もちろん個々のケースによって事情はちがうし、個人差もある。だけど何か普遍的なものがないだろうか?
今日観た映画に、その答えのヒントがあったような気がする。
『ヒトラーの忘れもの』(原題:Under sandet)という2015年のデンマーク、ドイツ映画。何気なく観たけれど、あまりに衝撃的な内容に言葉を失った。戦後問題を扱った作品なのに、これほど強い反戦メッセージを発信している作品はないと思う。心の底から拍手を送りたくなる、素晴らしい映画だった。
物語の舞台は1945年5月のデンマーク。ドイツが降伏したことで、多くのドイツ兵がデンマークへと送り込まれた。目的はナチスがデンマークの海岸に埋めた200万以上の地雷を撤去するため。そのほとんどが少年兵だった。
主人公はラスムスンというデンマークの軍曹。ナチスドイツに多くの国民を殺され、ドイツ兵を見るだけで殴りかかるほどの憎しみを抱えていた。そんな彼が命令されたのは、ドイツの少年兵を使った海岸の地雷除去。その海岸だけで約5万発の地雷が埋まっていた。
ラスムスンは少年兵に辛くあたる。憎きドイツ兵だから。ろくに食事も与えないし、夜は宿舎に軟禁状態だった。でも少しずつラスムスンの気持ちが変わってくる。あまりにひどい状況の少年たちを見ていて、彼の怒りが許しへと変化しようとしたから。
このあたりの心の動きは、映画を観ないとわからないと思う。そしてその優しい想いが、デンマーク軍の上部によって破綻していく姿も映像を通じてでないと感じられないだろう。
とにかくずっと緊張状態が続く作品。ちょっとしたミスや信管の抜き損ねで暴発する。映画の前半でも、二人の少年兵が爆死している。ようやくラスムスンと少年兵たちのあいだに絆が生まれ、もう少しでドイツへ帰れるという段階まで来た。
その直後にとてつもない事故が起きる。トラックに積み込んでいた地雷が爆発して、14人の少年兵のうち生き残ったのはたった4人だった。悲嘆に暮れたラスムスンだけれど、その4人だけでも約束どおりにドイツへ帰国させようとする。ところがまたしても上部の妨害が入る。
ラストシーンが圧巻だった。そんな上層部に対してラスムスンが反抗する。そして4人をドイツ国境まで逃してやる。切ないけれど、とても素敵なラストシーンだった。いまこうして書いていても、涙が出そうになる。
怒りと許しの分岐点があるとしたら、憎しみを抱いている相手も自分と同じ人間だと感じられたときかもしれない。ボクはこの映画を観ていてそう感じた。ちなみに事実はもっと悲惨。捕虜兵として地雷除去にあたった半数近い少年兵が命を落としている。
これは戦争捕虜の強制労働を禁じるジュネーブ条約に違反する行為。日本兵のシベリア抑留も同じだよね。様々なことを考えさせられる映画だった。こうした作品は、ぜひとも若い世代の人たちに観てほしいと感じた。
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