人の死後に展開する世界
少し前になるけれど、民放のBSで放送された映画を観て怒り狂ったことがある。ボクの大好きな作品だったからこそ許せなかった。
それは作品のカット。字幕放送とはいえ、民放だからCMを入れなくてはいけない。放送時間も決まっている。だから本編がノーカットで放送されることなんて、最初からまったく期待していない。
だけど『どの部分』をカットするかは重要。ストーリーがわかればいい、というものじゃない。その映画の制作に関わった人たちの意図を汲み、映画が伝えようとしていることをできるだけ損ねないよう配慮するべき。そこは編集担当の腕の見せどころだろう。
ところがその映画のカットは、作品に対する理解と愛情が欠如したひどいやり方だった。本気でテレビ局に抗議しようかと思ったほど。
ミュージカルとして人気だった作品を映画化したもので、監督はクリント・イーストウッド。つまり物語としても、そして制作としても完璧な作品。
なのにそのテレビ局は、エンディグのシーンをカットした!!! それはこのシーン。
『ジャージー・ボーイズ 』という2014年のアメリカ映画。このブログでは何度も紹介しているので、映画の詳細については割愛しておく。久しぶりにノーカットで作品を堪能した。
フォー・シーズンズという実在のバンドの歴史を描いた作品。フランキー・ヴァリというヴォーカリストの半生を描いた物語でもある。バンドの結成からブレイクするまでの過程。そして金銭問題でこじれて解散したのち、23年後の1990年にロックの殿堂入りしたシーンまでが映画の内容。
すっかり老人となった4人が再び一緒に歌う。そしてその途中で一人一人のセリフが入る。フランキーが語るのは、初めて「シェリー』という名曲が生まれたとき、街灯の下で若い4人がハーモニーを完成させたときのこと。
そして老人の4人が、ステージ上で若い4人の姿に戻る。これだけで号泣もの。そして最高のエンディングに続く。それが先ほどの写真のシーン。フランキーが思い出として語った街灯の下での練習シーン。
そのBSの民放は、このシーンに移る前で映画を終わらせた。老人のフランキーがわざわざインタビューに答えた意図を理解していない。最後にこの4人の原点を見せるため、クリント・イーストウッドはこのシーンを持ってきたはず。それがわからないなんて……。
そしてもっと大切なことがある。この街灯のシーンから一気にエンドロールに突入する。そのエンドロールこそが、この映画の真髄が表現されている部分。それを完全に無視するなんて信じられない。そのエンドロールは、こんな雰囲気。
この映画の主要な出演者が登場して、一緒にダンスをするというエンドロール。本当なら老人になっている人たちも、その人がもっとも輝いていた時代の姿で登場する。そこにいる人たちは、主人公の人生のすべてを象徴している。
愛しあったり、憎んだり、嫉妬したり、尊敬したり、怒りをぶつけたり、失望したり、慰めあったりした人たち。だけどそこにはなんのわだかまりも、遺恨もない。ただ人生という舞台に一緒に立った人たちが、舞台を降りて互いの健闘を讃え合っているように見える。
これはミュージカルの演出を取り入れたものだと思う。だけどボクはこのシーンに人生の真理を感じる。
人が死んだときに展開する世界は、こんな雰囲気なんだと思う。生きているときは役割として憎みあったり、傷つけあったりしたかもしれない。だけど人生の幕が降りたら、同じ舞台に立った出演者として一緒に笑顔でダンスできる。なんて素晴らしいんだろう!
だからこそ、ラストシーンとエンドロールがカットされたことに憤慨した。ここを観たくて2時間もテレビのまえに座っていたのに。ということで久しぶりにこの映画をノーカットで鑑賞して、スッキリすることができた。
ちなみにフランキー・ヴァリは86歳だけれど、まだ生きているからね〜
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