テロが生み出すのは絶望だけ
テロほど無意味で無価値、そして卑劣なものはない。なぜならプラスになるものは何も生み出さず、加害者側にも被害者側にも絶望しかもたらさないから。
自爆テロの実行犯は制御できない怒りに取り憑かれているか、宗教理念や民族主義に洗脳されているか、薬物でぶっ飛んでいるか、元から頭がおかしいかのどれかだろう。本人は死を恐れていないとしても、行動を共にする手下や、実行犯の家族にとっては絶望しかない。
そしていうまでもなくテロに遭遇して命を落とした人や、その人たちの遺族の絶望は計り知れない。テロを起こした人間の主張がまっとうだとしても、無差別に他人の命を奪う行為は決して許されるべきことではない。
ある映画を観て、そのことを思い知らされた。
『7500』という2019年のアメリカ、オーストリア、ドイツの合作映画。7500というのは航空用語でハイジャックのことを指す。ドイツのベルリンからパリへ向かう旅客機がハイジャックに遭遇するという物語。
同じタイトルで日本人監督が作ったホラー映画があるけれど、これはまったくちがう内容。ハイジャックが起きてすべてが終わるまでの様子がドキュメントタッチで描かれている。
主人公はトビアスという副機長。演じているのはジョセフ・ゴートン=レヴィットで、この映画は彼の素晴らしい演技によって全編が構成されている。彼のファンなら絶対に観るべき作品だと思う。
テロリストたちが用意したのは、ガラスで作ったナイフ。だから金造探知機に引っかからない。犯人の目的は旅客機を奪い、ドイツの街に墜落させることだった。CAの女性が機長と副機長に食事を運ぼうとしたとき、テロリストが操縦室に突入した。
機長は殺されてしまうけれど、トビアスはどうにかテロリストの一人を拘束して操縦室のドアを閉める。それで管制塔に連絡してハノーヴァーに緊急着陸することになった。
ところが操縦室の外にいるテロリストは黙っていない。乗客を人質にとって操縦室の扉を開けるように迫る。人質の男性が殺されても、トビアスは操縦室の扉を開けなかった。だが次のターゲットはCAの女性。彼女はトビアスの事実婚の妻だった。二人には2歳になる子供もいる。
ここからのトビアスの演技は凄まじい。乗客が殺されることにはどうにか耐えたけれど、妻の首にナイフが当てられている。とっさにトビアスは乗客に対してアナウンスをする。犯人の人数と持っている武器がガラスのナイフであることを告げた。だから蜂起して戦ってくれ、と必死で叫ぶ。
だがその願いも虚しく、彼の妻は殺されてしまう。それでもトビアスは操縦席の扉を開けなかった。だが拘束されていた犯人が意識を取り戻す。そこから形勢が逆転して再び操縦席はテロリストの手に落ちる、というような展開。
最初にすごいと思ったのは、この映画の飛行機操縦に関する専門的な内容。おそらくプロのパイロットが見ても、操縦に関しては突っ込みどころがないんじゃないかと想像する。だからノンフィクションを見ているような気持ちになってくる。
ただしこの映画のオチは虚しい。トビアスは無事に助けられるけれど、機長も妻も殺された。操縦席を占拠した犯人は死に、客席にいた犯人たちも乗客に捕らえられている。悲惨な結果が待っているだけで、笑顔も感動の涙もカタルシスもない。
あとに残されたのは、言葉にできない絶望だけ。
この映画の監督の意図は、ここにあるんだと思う。ドキュメントタッチで描きつつ、テロが絶望しか産まないことを表現しようと意図したんだろう。その意図をくんだであろうジョセフのすさまじい演技が、そのことを切実に語っていると思う。切ないけれど、いい作品に出会えたと感じた。
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