完全な自由と孤独の受容
何かを定義したとたん、それは自由を失う。言葉=制限であり、定義づけされたものはその言葉に束縛される。
これは概念や主義だけでなく、人間という個人に対しても起きる。例えばどんな人も自己紹介することで、自分を定義づけている。そして周囲の人間は、その定義によってその人を認知する。
大学生です、会社を経営しています。ミュージシャンです、主婦です、サラリーマンです、と自分を特定の言葉で表現することで、その言葉に縛られてしまう。でもそれはあえてそうしている場合もあるだろう。
自分のことをこんな人間だと思って欲しくて、わざと印象深い定義づけをする人もいる。特に権力や地位を証明する定義は、誰もが憧れ、手放したくないと思う。それゆえ自分を定義づけると同時に、その地位を必死で守ろうとする。そこに完全な自由はない。
もし完璧な自由を手にしようとするなら、名前も仕事も住む場所も変えて、まったくちがう人生を生きるしかない。そしてそこでの暮らしに新たな束縛を覚えたならば、再び新しい自分を求めて旅立つ。そうすれば完全な自由を手にできるかもしれない。
ただし、人生はトレードオフ。そうして完全な自由を手にするためには、誰とも深いつながりを持てない。強烈な孤独の受容なしには、完全な自由を生きられないだろう。なぜこんなことを考えているかといえば、ある映画を観たから。
『コンプリート・アンノウン 〜私の知らない彼女〜』(原題:Complete Unknown)という2016年のアメリカ・イギリス合作映画。サスペンスもアクションもない、淡々とストーリーが進む映画。だけど自由と孤独について、強く心に語りかけてくる作品だった。主演は写真のレイチェル・ワイズ。彼女の素晴らしい演技無しには成立しない作品だと思う。
ニューヨークに住むトムは、あることに悩んでいた。愛する妻は宝飾品の作成が夢で、カリフォルニアの著名な学校に合格した。かなりの難関校なので、妻はどうしても西海岸に行きたい。夫のトムを誘うけれど、彼はずっと言葉を濁していた。
トムは公的機関に関する仕事をしていて、その地位に執着があった。本当は自分でなくてもできる仕事なんだけれど、いまの立場を失いたくない。だから友人たちにも妻の合格を隠していた。
そんなとき、トムの誕生日パーティーに職場の親友が新しい女性の友人を連れてきた。アリスと名乗るその女性を見たとたん、トムは動揺する。なぜなら学生時代に交際していたジェニーに瓜二つだったから。ジェニーは突然失踪して、行方不明のまま15年も経っていた。
やがて二人きりになったとき、トムはアリスを問い詰める。すると彼女はあっさりと自分がジェニーであったことを告白した。実はアリスにはいくつもの名前があり、世界各国で暮らしていた経験がある。研究者であり、看護師であり、マジシャンの助手だったりと、それぞれの仕事で成功していた。
アリスが求めるのは完全な自由。それゆえある仕事についても、自分を定義づけるものに束縛を感じるようになるとその場所を去る。そして新しい名前を見つけ、新しい仕事に邁進する。学生時代にトムの元から離れたのも、完全な自由を求めたから。
最初はアリスを奇人扱いするトムも、やがて彼女の生き方に共感を覚える。それは自分にはないものだから。そして偶然に出会った老夫婦の家に二人で行ったとき、アリスに誘われて別の自分になることを体験する。そしてその自由を全身で感じる。
アリスがニューヨークに来たのは、昔の自分を知る唯一の人間に会いたかったから。それがトム。おそらく完全な自由を手にしたアリスも、心の奥底で強烈な孤独を感じていたんだろう。
アリスと別れたトムは、自宅に戻って妻に自分の決意を告げるシーンで映画は終わる。おそらく自分が別の人間になれることに自信を持てたことで、妻と一緒にカリフォルニアに移住することにしたんだろう。シンプルだけど、とても心に残る作品だった。
アリスを演じたレイチェル・ワイズは言うまでもなく、トムを演じたマイケル・シャノンが素敵だった。そしてチョイ役だけれど、キャシー・ベイツとダニー・グローヴァーの老夫婦も最高だった。
おそらくボクは小説を書くことで、アリスのように別の自分を疑似体験しているんだろうな。そんなことを感じる作品だった。
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