隣の芝生は青い、は禁句
昨日、ちょっとうれしいことがあった。
ブログとFacebookが連携できなくなったことで、ダイヤモンドブログのサイトを見ていた。不具合の情報が出ていないかを確かめるため。
そのときたまたま目に入ったのがブログのランキング。芸能人や著名人がオフィシャルブログとして開設しているブログサイトだから、ランキングには縁がないと思っていた。ところがボクのブログが15位に入っていた。
もしかして何かのまちがいかと思い、今朝になってもう一度確認した。するとなんと10位にランクインしていて、部門別では5位になっていた。もうビックリ!!!
ランキングなんて気にしていなかったけれど、総合でベストテンにランクインしていたら、さすがにうれしい。ブログを読んでくださっている方に感謝の思いでいっぱいになった。
昨日のTwitterでもつぶやいたけれど、記事単体のPVはかなり少ない。だけど6年以上にわたって継続して記事を書き続けていることで、累計のPVがランクインしているんだろう。『継続は力なり』という言葉は的を得たものだと実感した。
ただし注意するべきことがある。ランキングはたまにみる程度で十分。他人との比較が日常になってくると、自分自身を見失ってしまう。他人の視点で自分を見るようになることで、虚像を追いかけてしまいやすい。
そうなると『いま』という瞬間にとどまることができず、決して手の届かない幻想の自分を追い続けることになってしまう。
ある記事を読んで、まさにそのことを感じた。
「昭和時代にサラリーマンをやりたかった」という投稿に反発相次ぐ 「普通に働いていればそれでよかった」というのは本当なのか
これはなかなか面白い記事で、ちょっと笑ってしまった。そしてうなずきながら読んだ。
いまの若い世代が、終身雇用や年功序列によって、たいした仕事をしなくても収入が保証されていた昭和時代をうらやんでいる。それに対して、様々な年代の人が意見を述べているという記事。
高度経済成長時代は、たしかにいまとは働き方がちがった。団塊の世代と呼ばれる人たちは、戦後の日本を牽引して日本を経済大国にした。だけどいまの人が思うほど楽なものではなく、ネットも存在しないし、転職も不自由だった。女性に対する風当たりはいまよりもはるかにきびしい。
だけど中年世代が、いまの若い世代をうらやむのも無意味。つまりどちらの意見もそれぞれにメリット。デメリットがあり、比較しても意味がないといこと。ここで注意するべきことがある。
『隣の芝生は青い』という言葉が禁句だと自覚すること。先ほどのランキングと同じく、他人との比較で自分を見ることで『隣の芝生は青い』と感じてしまう。それに対して発奮できるのならいいけれど、たいていは自分の運命を呪うことで終わってしまう。
他人との比較で自分にラベルを貼るという行為は、『いま』という瞬間から自分を遠ざけるだけ。『いま』の自分を直視して受け入れていくことで、次の展開が見えてくる。だけど他人の評価にすべてを委ねていると、その結果を現実逃避に悪用してしまうだけ。
『隣の芝生はが青い』とうらやんでいる暇があるなら、どうすれば自分の家の芝生を青くできるかを考え、具体的な行動に移すほうが絶対にいい。だからボクもランキングのことは忘れて、いつもどおりにブログを書いていこう。
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