絶対に映像化できない小説
ミステリー小説に欠かせないのがトリック。よくあるのが密室殺人だよね。
ところが設定上のトリックではなく、文章力によってトリックを仕掛けた作家がいる。その作家はボクが中高生のころにハマってしまった筒井康隆さん。
このトリックは小説が好きな人、あるいは小説を書いた経験のある人がハマりやすい。ボクも完璧にやられてしまったwww
『ロートレク荘事件』筒井康隆 著という小説。電子書籍で読んだ作品。コロナの自粛中から続けている、1日に4冊の本を同時に読むというのを、いまでも継続している。その流れで読了した作品。
小説好きな人は、常に語り手が誰なのかを意識している。一人称の場合なら『私』や「僕」だし、三人称の場合でも登場人物のなかで語り手となっている人物に注目している。もし三人称の作品において同じ章で語り手が変わる場合は、一行あけて書くことが多い。そこから語り手が変わっていますよ、という合図。
この小説は基本的に一人称で書かれている。『おれ』という語り手。その『おれ』に注目するがゆえ、作者のトリックに騙されてしまう。
主人公は濱口重樹という人物。8歳のときに一緒に遊んでいた子供の不注意によって、遊具から落ちて大怪我をする。下半身の成長が止まってしまい、まるで小人のような大人だった。それはロートレックの風貌と合わせてあるのだろう。
だから重樹に怪我を負わせた『おれ』は、生涯を通じて重樹の世話をすることを誓う。そして実際にそうしてきた。それが小説の最初に登場する。
そして大人になった重樹と親友の工藤が、かつては重樹の自宅だった別荘に招待される。現在の持ち主はロートレックの絵を集める木内という会社の経営者。それゆえその別荘は『ロートレック荘』と呼ばれていた。
そこには大学生である木内の娘と友人を合わせた若い女性が3人。昔からよく知っている身内の集まりだった。全員が登場してもわずか10人。だけどその別荘で若い女性の3人が殺されてしまう。
最大のトリックは、障害を抱える重樹の世話をしていた男が工藤だと思わせていること。小説は常に『おれ』の一人称で書かれているので、重樹の視点て物語が進行していると思ってしまう。だから同じ世代の男は工藤しかいない。だから工藤が幼いころ重樹に怪我をさせた人物だと思っていた。
一人称の『おれ』が事件に驚いて、事件を語っている場面があるから、重樹が犯人だと絶対に思わない。ところが『おれ』という一人称が、複数の人物について使用されていた。それが最後になってわかる。
濱口修という重樹の従兄弟。彼こそが重樹に怪我をさせ、彼のそばにずっとついている人物だった。つまり事件を知って驚いている『おれ』は従兄弟の修であり、女性たちを殺した『おれ』は障害を持っている重樹だったというオチ。
この二人の人物に『おれ』という一人称を使わせることで、修という人物の存在が隠されていた。だからラストでその名前が出てきたとき、何が起きたのかわからずに当惑する。そして結果として著者に騙されていたことに気付いて苦笑する。
本を読んでいるかぎり、若い男は重樹と工藤の二人だけだと思わされてしまう。でも本当は重樹の世話をする修も含めた3人の若い男性がいた。ミステリーとしては突っ込みどころが多い作品なんだけれど、小説の語り手をトリックに使うというのは斬新。
要するにこれは小説でしかなできないトリック。絶対に映画化できない作品。なぜなら映像だと、修という名の『おれ』を隠すことができないから。
このあたりが筒井さんらしいよなぁ。実験的な小説を書かれる作家なので、本当に驚かされてしまう。とても勉強になる作品だった。
ブログの更新はTwitterで告知しています。フォローしていただけるとうれしいです。
『高羽そら作品リスト』を作りました。出版済みの作品を一覧していただけます。こちらからどうぞ。