裁判官の実態に恐怖を覚えた
知らぬが仏、と言う言葉がある。だけど知らなくても、そしてくわしく知っても地獄だとしたら?
そんな絶望的な雰囲気になってしまうノンフィクションを読んだ。
『裁判官も人である 良心と組織の狭間で』岩瀬達哉 著という書籍。
今年の初めに出たばかりの新刊。タイトルに惹かれて読んだけれど、あまりにも怖くて真夏なのに身体が震えた。怖いといっても、ホラーのような怖さじゃない。信じていたものが、まったく機能していないという恐怖。
小学校になると三権分立という憲法の基本を学ぶ。司法、立法、行政という3つが独立を守ることで、互いを牽制して権力の集中を抑止しようとするシステム。ただし残念ながら大人になると、立法と行政は国会議員という存在によって、すでに権力が偏っていることに気づく。
それでも司法だけは独立した存在だと信じていた。だけどこの本を読んで、そんなことが妄想だと思い知らされた。本の内容を鵜呑みにしているわけじゃないけれど、現役の裁判官、あるいは元裁判官だった人たちの肉声を集めてある。そしてそれを裏付ける資料や歴史的な事実がタグづけされている。だから真っ向から否定できない。
まだ新刊なのでネタバレはしない。興味と勇気のある人は読んでみるべき。裁判官がどのようにして養成されているかを知れば、ボクが言わんとしていることがわかると思う。
裁判官というのは司法試験を高得点で突破したエリート集団。その多くが東大や京大という大学を出ている。司法試験に合格して司法研修を受ける段階で、裁判官にふさわしい人間が選別されてしまう。そこから外れた人が検察官となったり、弁護士となる。ちょっと言い過ぎかもしれないけれど、当たらずとも遠からずというのが現実。
つまり裁判官は純粋培養される。それゆえ組織の縛りがキツい。裁判官の究極的なゴールである最高裁判事なんてほんの一握りだけ。ましてや最高裁長官なんて、エリート中のエリートしか就任できない。
出世するためには、常に最高裁の意向を忖度する必要がある。裁判を仕切ってこれしかないという判決でも、最高裁の意向に外れた判決文を書くことで出世コースから脱落する。そうなると普通なら高等裁判所の裁判長になるような年齢になっても、家庭裁判所で定年を迎えることになる。
そしてその最高裁判事を指名する権利を有しているのが内閣。だから三権分立はここで破綻している。ときの政府に忖度できない裁判官は、上からの圧力によって潰されてしまう。
そんな組織の体質が、検察の意図的な冤罪を見抜けなかったりする。その実例を読んで、本当に怖いと思った。もちろん最悪なのは自白を強制したりする検察なんだけれど、裁判官がそれを見抜けなかったり、ひどい場合は手を貸している場合もある。
現代においては、それらの問題点が指摘されて、少しずつ改革されている。だけど裁判官の養成方法に関して、最高裁は従来の方法を変えようとしない。そのことで動きがあると、徹底的に潰してきた。だから根本的には変わっていない。
変な言い方になるけれど、いまの日本の裁判制度は犯罪の抑止力になるかもしれない。だって罪を犯して法廷に被告として立つと、公正に裁かれるとは限らないから。本気でそんなことを感じてしまった。
だからうっかり犯罪者にならないよう、普段から自分を律しなくては、とマジで思った。それこそ交通違反でも怖い。きちんと仕事をした裁判官が報われるシステムにならないと、いつまでも不幸な出来事が起きてしまう。スティーブン・キングのホラーより恐怖を覚えた内容だった。
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