地獄を呼ぶ神の沈黙
ボクが高校生時代に読んだ小説があまりに衝撃的で、いまだにその物語を思い出すことがある。
その小説は遠藤周作さんが書かれた『沈黙』という作品。豊臣秀吉の時代からキリスト教は禁止される傾向にあったが、江戸時代になって徹底的に弾圧されることになった。島原の乱はそうしたキリシタンたちが起こしたもの。
この『沈黙』という作品は、そんな悲惨な時代に消えつつあるキリスト教を守ろうとして、長崎に密行してきた二人の神父の物語。隠れキリシタンを一掃するため、江戸幕府は神父をとらえて棄教を勧める。神父がキリスト教から改宗するのを見れば、あとに続くだろうと考えたから。
そのために信者を見つけては拷問して、神父の目の前で殺した。神父が改宗するまでやめない。そして最終的に棄教が無理だと判断されたなら、その神父も命を奪われるという時代だった。
信者たちが殺されるのを助けようとして、神父は必死で神に祈る。だけど神は何も答えようとしない。それゆえ『沈黙』というタイトルが付けられている。あまりに悲惨な物語なので、映像化は難しいと思われていた。以前日本でも映画化されたことはあるけれど、内容をかなり変更したものだったそう。
ところが近年になってかなり原作に忠実な映画化が行われた。それも監督はマーティン・スコセッシ。彼がその時代の日本を、そしてキリシタンについてどのように描くのか気になっていた。ようやく観ることができたけれど、ボクが思っていたよりも素晴らしい作品となっていた。
『沈黙 -サイレンス-』(原題:Silence)という2016年のアメリカ映画。主演のロドリゴ神父を演じるのはアンドリュー・ガーフィールドで、彼と共に密行するガルべ神父をアダム・ドライヴァーが演じている。
そして二人が長崎に向かう動機となったフェレイラ神父を、リーアム・ニーソンが演じている。フェレイラ神父はすでに棄教していて、日本名を持ち、日本人の妻と子供もいた。ガルぺ神父は殉教するけれど、主演のロドリゴ神父は神の沈黙に耐えきれず、フェレイラ神父と同じく日本人として生きることを選択するという結末。
3人とも完璧な演技なので、3時間近い映画だけれどあっという間に終わった印象だった。特に映画のラスト近くで、ロドリゴ神父を説得するフェレイラ神父とのやり取りに感動した。なぜ日本にキリスト教が根付かないかについて、フェイレラ神父は核心をついてくる。
これは原作が遠藤周作さんだからできたセリフなのかもしれない。だけどマーティン・スコセッシ監督がその内容を理解しているからこそ、あれほど迫力あるシーンになっているんだと思う。
さらにボクが感銘を受けたのが日本人俳優の人たち。イッセー尾形さん、浅野忠信さん、そして窪塚洋介さんの演技は見事としか言いようがない。その日本人俳優たちの演技を後おしするかのように、当時の長崎の様子がとても美しく、哀しく、そして恐ろしく描かれていた。
ボクたち日本人が見えてもまったく違和感がない。ハリウッド映画が描く日本にがっかりすることが多いけれど、この作品に関してはほぼ不満がなかった。強いて言えば長崎の小さな漁村の人たちが外国語を話せること。さらにポルトガル人の主人公たちが英語で会話していることくらい。
まぁ、そのあたりはハリウッド映画だから仕方ないだろう。それ以外の部分が完璧だったので、ほとんど気にならなかった。
宗教とは何か、信仰とは何かについて真正面から切り込んだ作品。この時代特有の問題だけれど、現代社会にも通じるものがあるはず。さすがマーティン・スコセッシ監督。本当に素晴らしい映画だったと思う。
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