逃避は問題をこじらせる
どんな人でも問題に直面することがある。でも諦めたり方向を変えることで、それらの問題から距離を置くことはできる。
だけど人生において、どうしても避けられない問題にぶつかることがある。どの方向へ進むとしても、その問題を解決しないと前に進めないいう性質のもの。もしかしたらそれは過去生から持ち越しているものかもしれない。
その解決方法はたった一つしかない。それは問題に直面すること。正面突破することでしか、その問題を乗り越えることができない。それほど根深くて大きな問題は、どんな人にもいつか訪れる。
そうした必然的な問題は、ほぼまちがいなく苦痛を伴う。だって簡単にできることなら、とっくに通過しているはずだから。それゆえできることなら避けたいと思うのが人間の心情。だから逃避行動に走る。例えばお酒やドラッグ。
でも逃避行動は問題をこじらせるだけ。そのことをシニカルに描いた名作映画がある。
『時計じかけのオレンジ』(原題:A Clockwork Orange)という1971年のアメリカ映画。有名な作品なので名前を知っていたけれど、なかなか観る気持ちになれなかった。なぜなら監督がスタンリー・キューブリックだからwww
ボクは『2001年宇宙の旅』を最後まで見終わるのに4回ぐらいかかった。いつも前半で寝てしまうから。最後まで観ることができて名作だと理解したけれど、なんとなくこの監督と相性が良くない。
スティーブン・キングの代表作のひとつである『シャイニング』の映画化作品も、原作を読んでから観たものだから、どうも釈然としなかった。ボクは続編として昨年に公開された『ドクター・スリープ』のほうが好き。そんなこんなで、この映画になかなか手が出なかった。
これではいけないと想い、一念発起してようやくこの作品を観た。だけど想像していた印象とちがい、もっと早く観ればよかったと感じた。
キューブリック監督の作品としては、いままでボクが観たなかで最高の作品だった。近未来の設定が面白く、まるで夢の世界のような異質感が心地よく感じられた。この映画が苦手な人は、前半の暴力とセックスシーンにうんざりするからだろう。でもそこを超えると、深く伝わってくるものを感じる。
主人公のアレックスは暴力がそのまま顕現したような若者。そして結果として殺人で逮捕されて、懲役14年で刑務所に収監される。だけど新しい内務大臣肝いりの新実験の対象者となった。それは凶悪な犯罪者に二度と暴力を起こさせないというもの。
その第一号にアレックスは選ばれる。ある種の洗脳のような方法で、暴力やセックスについて考えるだけで、吐き気がして身体が拒絶するというもの。実験が成功して釈放されるけれど、アレックスの葛藤は笑えるけれど悲惨でもある。
なぜなら心のなかにある暴力に対する欲望はふつふつと燃え盛ったままだから。問題に直面して暴力から脱したわけでなく、肉体が暴力から逃避しているだけ。だから自宅に戻って両親に家を追い出されても、昔の仲間に不当な暴力を受けてもやり返せない。吐き気がして手が止まってしまう。
映画の結末としてアレックスは元の状態に戻ってしまうという、ブラックユーモア的な作品。問題から逃げている限り、何も変わらないということだろう。これは決して暴力肯定の作品ではなく、問題に直面しないことの愚かさを描いたものだと思う。
時間をおいて定期的に観たいと感じさせる。不思議で魅力的な作品だった。
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