中傷と表現の自由の境界線
ネット社会における最大の問題は、他人を誹謗中傷する人が存在すること。以前は野放し状態だったけれど、ここ数年は積極的に訴訟を起こす人が増えてきた。
匿名投稿に安住していた人が、訴訟を起こされたことであわてて謝罪しているケースを何度も見ている。自分の発言に責任と義務が伴うことを、訴訟を起こされて初めて気がつく人が多いのだろう。
そうした傾向を受けて、政府も法改正を前向きに進めている。数日前にもこんな記事が紹介されていた。
ネット中傷「訴訟しなくても投稿者の情報を開示」、総務省が検討
タイトルにあるように、時間のかかる訴訟をしなくても、中傷していると見られる投稿者の情報を開示できる法律が検討されている。裁判所の命令によって、ネット事業者に情報を開示させるというもの。総務省は来年の法改正を目指しているらしい。
管政権になって、従来の不要な枠組みが適切に取り払われているように感じる。この法改正もそうした流れの一環だろう。
ただ気になる部分はある。リンク先の記事でも懸念が表明されているとおり、表現の自由を脅かす可能性があるということ。つまり中傷と表現の自由の境界線が不明確なので、裁判所が客観的な判断を公平に下せるのか心配。
中傷に該当しない投稿として、以下のような文言がある。
『投稿の内容が真実で公共・公益性がある場合には違法としない』
一見すると、合理的な基準のように思える。だけど真実なんてわからない。フェイクニュースが飛び交い、大勢の人がその内容を信じてネットで拡散している。単なる勘違いから意図的な嘘まで、ネットは多種多様な情報であふれている。
公共・公益性という概念もあいまい。だから担当する裁判官の判断によって、ある投稿を中傷と見るかどうかに差が出てしまうような気がする。ネット事業者は中傷だとされた投稿者に対して、意見を訊く義務はあるとのこと。投稿者の意向を無視して、一方的に中傷者扱いされることはなさそう。
だけど中傷と表現の自由の境界線が明確でない以上、その解釈に関して混乱が起きるような気がする。そしてもっと怖いのは、権力者によって法律を悪用されるというケース。誰かを陥れるために、ネット投稿での言葉尻をとらえて中傷者として社会から抹殺することも可能だろう。
だからといってネット社会を放置すれば、根拠のない誹謗中傷によって苦しむ人が出るのは必至。だから法的な後ろ立ては絶対に必要だと思う。とにかく法改正を進めて、実際に適用させながら微調整していくしかないんだろうなぁ。
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