どう転んでも格差社会?
人間というのは不思議なもので、一定数以上の人が集まると面白いことが起きる。例えばマンションで考えるとわかりやすい。
分譲マンションは管理組合の規約があって、守るべきことがいくつか決められている。世帯数が10にも観たないマンションだったら、全世帯がルールを完璧に守るようなことがあっても不思議じゃない。
ところが100世帯を超えるような規模のマンションになると、必ずと言っていいほどルールを破る人が出てくる。これは京都でも、そしていま住んでいる神戸のマンションでも経験している。ほとんどの人はルールを守っているのに、一部分の人はまったく守ろうとしない。
ボクは心理学者でも社会学者でもないから感覚的なものでしか言えないけれど、その割合がどうも一定のような気がしてならない。ある規模の人間が集まった場合、決まった割合でルールを守らないという人が発生するように感じている。
別の例でいえばサイコパスもそう。どんな社会にも一定数の割合でサイコパスの人がいる。誤解をしてもらっては困るけれど、サイコパス=犯罪者じゃないからね。あくまでも脳の機能的な状態を指す。
サイコパスの人は優秀な外科医だったり、パイロットだったり、特殊部隊の兵士やスパイをしている人が多い。人類全体から見れば少ないのに淘汰されることはない。つまり人間社会にとって一定割合のサイコパスが必要とされているような気がしてならない。
もしかすると動物や人間というのは、集団の数がある一定数を超えることで何らかの集合意識的な傾向を発生させるのではないだろうか? 種の保存という機能が働くことで、特定のグループ分けのようなことが起きるのでは?
ある映画を観て、ついそんなことを考えてしまった。閉鎖された空間なのに、そこはまるで格差社会の縮図だったから。
『スノーピアサー』という2013年のアメリカ・フランス・韓国の合作映画。ややエグいシーンの多い作品なんだけれど、設定がユニークだった。それゆえ映画としてかなり質の高い作品だと思う。
物語の舞台は2031年。地球温暖化対策として、CWー7という化学薬品が散布された。ところがその効果があり過ぎて、世界中が氷河時代を迎えてしまう。人間を含めた世界中の動植物は死に絶え、生きているのはある列車に乗車している人間たちだけ。
その列車はウィルフォードという人物が作った『ノアの方舟』のようなもの。地球全体を一年で一周することのできる線路を、永久機関によって走っている。だからある場所を通過すると、1年が経過したことがわかる。
だがこの列車には格差社会が存在していた。列車の前方に行くほど裕福な人間が住んでいる。そこには地上での生活と同じような環境が整えられている。ところが最後尾の車両はまるで地獄。奴隷のような扱いを受けた多くの人たちが、怒りと不満と悲しみを抱えて生きていた。
やがてカーティスという主人公がリーダーとなって革命を起こす。目指すは先頭車両にいるウィルフォードと、この列車のエンジンを奪取すること。そのために扉を破壊しつつ前の車両へ進んでいく。そしてその度に、想像を越えた苦難が待ち受けているという物語。
列車という閉ざされた空間だけれど、人間社会の縮図のようになっている。結局は金と権力のある人間が楽をしている。そして何も持たない者が苦役を強いられる。だけどカーティスが起こした革命は、想像を超える結末を迎える。
それはウィルフォードが仕掛けることによって起きた革命だった。列車内の人間が増えすぎると困る。それゆえ殺し合いをさせることで数を減らすことが目的だった。定期的にリーダーとなる人間が選ばれ、最後尾の人間に革命を起こさせる。これまた、世界で起きていることの象徴だと感じた。
結局はどう転んでも格差社会になるということ。そしてそれを影で支配しているのは富裕層。だけどカーティスの行動は、この列車にとって最後の革命となる。とても奥の深い素晴らしい映画だった。ウィルフォードを演じたのが、ボクの大好きなエド・ハリス。悪役の彼もいいよなぁ。
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