なぜ神は残酷なのか?
神という概念は宗教や個人によって様々だろう。だけど基本的な要素として『愛』あるいは『善』の象徴として扱われ、この世を創造した存在として語られることが多い。
そんな神が創造したこの世界において、なぜ戦争が起き、自然災害が発生し、いまだ治療できない病気が存在するのか? そのことによって大勢の人が命を失い、苦しみの声をあげているのに、この世界は本当に神が作ったといえるのか?
この疑問は小説や映画でも取り上げられることが多い。ボクがすぐに思い浮かべたのは遠藤周作さんの『沈黙』という作品。小説も映画も観たけれど、これほど直接的に神への疑問を提示した作品はないだろう。
そして昨日読了した小説も、ホラー作品ながら同じことを著者は問いかけていた。なぜ神は残酷なのか? この言葉がテーマとなった恐ろしい作品だった。
2021年 読書#18
「デスペレーション』下巻 スティーブン・キング著という小説。上巻のついての感想は『これは神と悪魔の戦い?』という記事に書いているので参照を。
デスペレーションというネヴァダ州の街に閉じ込められた主人公たち。11歳のデヴィッド、父親のラルフと母親のエレン。作家のマリンヴィル。マリンヴィルのマネージャーのスティーブと、彼の車にヒッチハイクしたシンシアという若い女性。夫のピーターを警官に殺されたメアリ。この街の獣医であるトムと、生き残っていた地質学者のオードリィーという女性。
このメンバーは映画館に隠れていたけれど、警官は次の攻撃を仕掛けてきた。いきなり結論を述べると、警官に取り憑いていたのはタックという古代から存在する悪魔。この街の鉱山に埋められていたタックが、100年前の古い坑道の発見によって復活した。
デヴィッドたちが街に来る前に、タックは次々と人間に取り憑き、街の住人のほとんどを殺戮していた。タックに取り憑かれると、健康な人間でも2日くらいしかもたない。全身から血液を流し、肉体の組織が液状化して崩れていく。
それゆえ警官に取り憑いたタックは、次の肉体を求めるために旅人を拉致していた。最初の犠牲になったのはデヴィッドの母親のエレン。警官の肉体が使えなくなると、タックはエレンに乗り移った。そして逃げ出したデヴィッドたちを捕まえようとする。
ここから先は恐ろしい。いくつもおぞましい場面が描かれ、この街の住人がどのようにして惨殺されいったか明かされる。物語の最後に生き残ったのは、少年のデヴィッド、メアリ、スティーブ、そしてシンシアの4人だけ。
最初にも書いたように、この物語はなぜ神が残酷なのか、について問いかけてくる。デヴィッドは神がかりな少年。交通事故にあった友人を神に祈って救ってから、神の存在を身近に感じている。そしてこの物語でもいくつもの奇跡を起こしている。たとえば一箱しかないクッキーの箱から、何枚でもクッキーを取り出して見せたりする。キリストのようだよね。
そして対照的に描かれているのが、無神論者の作家であるマリンヴィル。ところが最終的に命を犠牲にして仲間を救ったのはこのマリンヴィルだった。
デヴィッドの神託によると、タックを滅ぼすために彼らはこの街へ呼び寄せられたとのこと。マリンヴィルは否定して一人で逃げようとするけれど、自分が神に呼ばれていたことに気づく。このあたりの展開が実にうまく描写されていて、人間の『変容』がリアルに文章化されていた。
ただ神が残酷であることは変わりない。デヴィッドは妹、母親、そして最後まで行動を共にした父親の命まで奪われる。そしてマリンヴィルも自らの命を差し出すことになった。神のために戦っているのに、なぜこんなひどい目に遭わせるんだ。そんなデヴィッドの嘆きが、ボクの心に衝撃を伴って訴えかけてきた。
神が残酷であることの疑問は消えないけれど、奇跡の存在であることも否定されていない。それはラストシーンで明かされる。この仕掛けにはさすがに驚かされた。これほど見事な伏線はないだろう。恐ろしいけれど、人間の運命について考えさせられる素晴らしい物語だった。
ちなみにスティーブン・キングは、リチャード・バックマンという別のペンネームを持っている。そのバックマンの名前で、この作品のスピンオフを書いているらしい。やはりタックという悪魔が出てきて、同じ登場人物が使われているとのこと。
これは絶対に読まなくては。もしかしたらその作品を読むことで、この物語は完結するのかもしれないね。
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