ヴィーガンにならない理由
スパッと一言で語れないことが、ボクの場合小説のテーマになる。うまく言語化できない心のモヤモヤを、物語を通して自分のなかで明らかにしていく作業だといっていい。
次の新作小説、さらにその次の作品テーマも決まっている。そしてある記事を読んで、3つ目のテーマが確定した。
そのテーマとは、『ボクがヴィーガンにならない理由』
私は一ヶ月後、この牛を殺します。〜私がヴィーガンにならないと決めるまで〜
リンク先の記事を読んで共感したことで、ボク自身がヴィーガンにならない理由を小説にしようと決めた。そう思わせるほと素晴らしい記事だった。
ただし長い。ちょっとした短編小説くらいの文章量なので、読み終えるのにかなり時間がかかる。そして心が痛い。動物を愛する人なら、正視できない写真や記事が書かれている。
記事の著者は若い女性。友人からヴィーガンを勧められたことがきっかけで、自分がヴィーガンになるための理由を求めたドキュメント。ヴィーガンになる人の多くが、動物の命を奪いたくない、という理由でスタートする。
健康にいいから、人間は肉食動物ではないから、というような理由は後付け。過激ともいえるヴィーガン思想の持ち主は、動物の命を奪うことの抵抗感からその世界へ入っている。
著者がすごいのは、自分でそのことを実感するため酪農農家に頼んで牛を肥育する仕事をしたという行動力。そして仲良くなった牛が屠殺されるまでを、自分の体験として文章にしている。その結果として、彼女はヴィーガンにならないと決めた。
ボクはその理由に共感した。まったく同じではないけれど、同質の価値観がそこにあったから。
卒業した大学が畜産科だったから、ボクはあらゆることを実際に経験している。牛の除角、牛や豚の去勢、山羊や豚の解剖、鶏の解体というようなことを、実習の必修科目として課せられた。そして屠殺場の見学という体験もしている。
いまだから言えるけれど、学校の実習でなければ絶対に拒否していただろう。畜産というものが、家畜に与えているストレスや恐怖感は尋常ではない。この事実を経験しているかどうかのちがいは、人生観に大きく影響するはず。それを知っているからこそ、この著者の行動に感服した。
そんな経験をしているのに、なぜボクがヴィーガンにならないかを不思議に思う人は多いだろう。でもそれは畜産ということの、一面しか見ていないからそういう意見になるんだと思う。ヴィーガンの人たちは残酷な状況だけをピックアップして取り上げる。だけど人類としての全体像が見えていないように感じる。
記事の著者も同じことを感じていたようで、ヴィーガンのインフルエンサー、さらに栄養士の人にまでインタビューすることで、自分なりの結論を出しておられる。つまり視点を変えることで、見えるものがちがってくるということ。
来年になるかもしれないけれど、ボクなりにヴィーガンにならない理由を、小説の登場人物たちに語ってもらおうと思う。なぜならその理由はモヤモヤとしていて、一言で語ることができないから。とりあえず来年の課題として、勉強しなくてはね。
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