数分の幸福を永遠に変えたい
久しぶりに慢性腎不全で闘病中のミューナの近況報告をしておこう。便りがないのは元気な証拠という言葉どおり、病気だと忘れるほど元気にしてくれている。
もしかしたが3人家族の我が家で、もっとも元気なのは彼じゃないだろうか?
昨年の12月21日にラプロスという腎不全用の薬を飲むようになってから、まったく食欲が落ちていない。正確には計っていないけれど、確実に体重が増えているのがわかる。獣医さんが目標にしてくださった4.5キログラムにかなり近づいているように思う.
もう3ヶ月以上も朝晩2回の薬を続けている。だから合計すると180錠以上の薬を飲んだことになる。おかげで飲む方も、そして飲ませる方も慣れてきたwww
最初のころなんかミューナの抵抗が激しいせいで、ボクも妻もあやつの犬歯で傷ができたほど。それがいまは数十秒もあれば薬タイムが終わっている。ということで1週間ほど前の写真をアップしておこう。妻が可愛く撮ってくれたので、インスタに投稿した写真。
最近の彼のお気に入りは、布団でボクの胸の上に乗って寝ること。電気を消した就寝直後と明け方にこの攻撃を受けるwww
重いので寝返りできないから、じっと耐えているしかない。だけど本音をいえば、これほど幸せな時間はない。ゴロゴロと喉を鳴らしながら眠ってくれるミューナを見ているだけで、ボクのほうが癒されている。
ただ最近はその幸福を味わいながらも、どことなく切ない気分になっている。だっていつかこの幸福には終わりが来るから。
慢性腎不全は治療できない病気。いまは薬のおかげで元気だけれど、いつか腎臓に限界が来るだろう。さらに今年の6月には15歳になるから、高齢化という事実も無視できない。昨年の暮れに別れを覚悟したけれど、そのときの気持ちを忘れないようにしている。
だからいつも思う。彼を胸に乗せている数分の幸福を、永遠に変える方法はないだろうか、と。
この世界は、初めと終わりがあるのが決まりごと。どんなことにも必ず終わりが来る。いまの3人の生活も、いつか一人欠け、二人欠けとなるのは避けられない。わかっているけれど、いまの時間が永遠にならないかと願ってしまう。
そんなこと無理だけれど、少しでもボクの記憶に刻みつけるしかない。だからいまの日常を全身で感じるようにしている。幸せだと思う瞬間があったら、そのときの音、光、匂い、肌に感じる感触等に対して、五感をフルに使って味わうようにしている。それしかないものね。
その記憶がボクの死後にどうなるのかわからない。死んだらパソコンのデータが消えるようになるだけかも、だけどもし死後世界があるとしたら、その記憶を永遠に変えることができるかもしれない。毎日ミューナを胸に乗せながら、そんなことを考えている。
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