動物虐待を防ぐのは共感性
ボクは旅番組が好きでよく見ているけれど、どうしても目を背けてしまうシーンがある。それは料理の場面でよく見かける刺身の舟盛り。新鮮な魚であることを強調するためだろうけれど、さばかれた魚の頭がこれみよがしに置かれている。
ボクだって魚は食べる。だから動植物の命の犠牲の上に自分の生が成り立っていることを自覚している。だとしても殺された魚の顔を見ながら平気で食べることはできない。妻も同じ考えで、もし旅行先でそんな場面に遭遇したら二人してその場を立ち去ると思う。
もっとひどい場合は、イキのいいことを見せるために切り身が動いていることもある。アワビの踊り焼きなんて最悪。あんなもの目の前で見て、それを食べる人の気が知れない。韓国だと生きている蛸の足をもいで食べる習慣もある。
だけど普通の人は、そんなこと疑問にも思わないのだろう。抗議する人が大勢いるなら、旅館やホテルがそんなメニューを用意するはずがない。つまり圧倒的多数の日本人には受け入れられているということだろう。ボクたち夫婦が食に関してマイノリティなのは明らか。
だけど遠く離れた海外でボクの気持ちに沿った法案が検討されている。是非とも成立させてほしいと願っている。
イギリスがロブスターやタコをそのまま茹でる行為を禁止する可能性、「甲殻類や軟体動物も動物愛護の対象とすべき」という新法により
その国とはイギリス。この国では動物愛護法の対象となる『動物』に関して、これまでは脊椎動物に限定されていた。だけどその範囲を甲殻類や軟体動物にも広げる動きが進んでいる。
もしこの改正案が可決されたならば、ロブスターや蛸を行きたまま茹でることは禁止される。苦痛を与えないように処理をしてから調理しなければならない。イギリス贔屓のボクとしては応援したい法律。海老も蛸も大好きだけれど、生きたまま茹でるなんてことは絶対にやめてほしい。
だけど刺身を常食としてきた日本人の多くは、このイギリスの法律が理解できないかも。どちらにしても殺して食べるんだから同じじゃない、という論理になるように思う。まぁたしかにそうなんだけれどね。殺すのが嫌だったら、ヴィーガンになればと言われるだろう。
ボクには魚釣りをする人や、趣味で動物を銃で撃つ人の心理が理解できない。どれだけその楽しさを力説されても、ボクの心を動かすことはない。こういってしまえば身も蓋もないけれど、こうしたことは理解し合える余地がないような気がする。
これはそれぞれの人の共感性のちがいだと思う。ボクは釣られた魚か感じるであろう針の痛みに共感してしまう。銃口を向けられたり、生きたまま釜茹でにされたり、意識があるのに肉体を切り裂かれる動物たちに共感してしまう。これはどうしようもない。
でもこんなボクをアホらしいと思う人が、他人の痛みを感じないというわけじゃない。ただ動物に対する共感性の範囲がボクとちがうだけのこと。だから何も感じない人を非難するつもりは毛頭ない。
だけどこの世界から動物虐待をなくそうとするならば、その共感性の範囲を広げていくしかない。今回のイギリスの改正案も、ボクと同じように海老や蛸の痛みに共感する人が提出したんだと思う。もしこの改正案が通過すれば、ボクはますますイギリスが好きになりそうだなぁ。
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