刷り込みによる判断力の曇り
ゴキブリが苦手な人って多いよね。逆にいえば好きな人は少ないだろうけれどwww
ボクはゴキブリに対して特に何も感じない。もちろん部屋のなかを自由に散歩されたら困るので、ティッシュでそっとつかんで家の外に退場してもらう。絶対に殺さない。殺虫剤なんてどの昆虫に対しても絶対に使いたくないし、ましてやゴキブリを叩き潰すなんて信じられない。
ゴキブリは伝染病を媒介するような昆虫ではない。昆虫学的にいえば比較的清潔な動物で、マラリアを媒介する蚊のほうがよっぽど恐ろしい。人間の食べ物に触れたりすると困るから、とりあえず家の外に出てもらうだけで十分。
だけどゴキブリを悪の権化のように忌み嫌い、見つけ次第徹底的に殲滅するか、叫び声をあげてひたすら逃げ続ける人はかなり多い。それはゴキブリに対する間違ったイメージを刷り込まれた結果である、ということを書かれた記事を読んだ。
タイトルに引き寄せられた記事。でもゴキブリは話の展開上のきっかけで、著者がいいたいのは、日本人が知識の刷り込みによって判断力を曇らせていることが多いというもの。なかなか面白い内容だった。
子供が何かを『学ぶ』ということは、目上の人がいったことをありのまま受け入れることでもある。なぜならその是非を検証する知識が存在しないから。つまり人間の知識というのは『刷り込み』なしにはあり得ないということになる。
そうう意味では子供にとって両親の影響は強い。ゴキブリに関する刷り込みだってその時代に起きている。そして典型的な刷り込みが日本の学校教育。同じクラスの生徒が、教師の教えることを鵜呑みにする。なぜならその内容によって成績を判定されるから。
もちろん義務教育の時代は、最初に書いたように刷り込みが必要。知識がないんだから鵜呑みにするしかない。ところが問題になってくるのは高校や大学という段階。ここで欧米との差が大きく出てくる。
日本では高校や大学でも、義務教育時代と基本的に変わっていない。教師や教授が教えることを疑うことなく、知識として刷り込んでいる。ところがアメリカでは学生に『疑う』ことを教えるそう。
教授や先輩が伝えようとしていることを、まず『疑って』みる。そこからスタートすることで、自分で考えることをデフォルトにしていく。この差は思っているよりも大きいように思う。
たけどうだろう? 実際問題として、欧米の教育はその効果が出ているのだろうか?
昨今のコロナの状況を見ていると、かなり疑問を覚えている。なぜならアメリカでもデマに惑わされている人が大勢いるから。権威ある人が語ることに関して、盲目的に信用してしまうケースが多発している。
そもそもよく考えてみれば、宗教ほど刷り込み要素が強いものはない。クリスチャンの環境で育った人は、神に対して『疑い』持つことは希少だろうと思う。そんな『疑い』が映画のテーマになるくらいだから。
要するに人間というものは、『刷り込み』に支配されやすい生き物なんだろう。どんな人でも過去に刷り込まれた知識や経験によって、正常な判断力を失ってしまう場合があるということ。
それが人間の本質だということを、まずは自覚することから始めるしかないんだろうなぁ。
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