思い出が嘘だと知った絶望
ボクが実際に60年近くも生きてきたことの証明はない。もちろん役所に行けば戸籍がある。だけどそうした公的文書は、偽造することも可能。
実感として生きてきたことを補足するものとして写真や動画がある。でもボクにはそれさえない。両親が離婚した小学校1年生以前の写真は、義母の到着とともに処分された。さらに神戸に引っ越してから、ボクは断捨離を兼ねてすべての物理的写真を処分した。学校の卒業アルバムさえない。
ボクが確認できる過去の写真は、デジタル保存している15〜16年前が限界。だからそれ以前の具体的な証拠がない。もちろん記憶というものが存在することによって、ボクが京都で生まれて育ち、神戸で暮らしていることを自覚している。
でもその記憶が移植されたものだとしたら? そこには絶望しかないだろう。辛いこともあったけれど、楽しいことも数えきれない。その思い出のすべてが偽物だとしたら。そんな想像を絶する絶望に堕ちた主人公の映画を観た。
2022年 映画#4
『ブレードランナー2049』(原題:Blade Runner 2049)という2017年のアメリカ映画。NHKのBSで放送されているのを見つけ、何度か観た作品だけれど久しぶりに鑑賞することにした。もちろんその前に前作である『ブレードランナー』も復習している。
前作はハリソン・フォード演じるデッカード刑事とレプリカント(人造人間)であるレイチェルとの物語だった。レプリカントの抹殺を受けて、二人が逃亡するシーンで前作は終わっている。その30年後を描いたのがこの続編。
主演はライアン・ゴズリングでKという新型レプリカントを演じている。Kはブレードランナーで、人間世界に潜んでいる旧型のレプリカントを見つけて処分するのが任務。その過程で、不思議なものを発見する。それは30年前にレプリカントが出産した証拠だった。
警察は人類に不安を与えるということで、その事実を抹消させようとする。だがレプリカントを作っているウォレス社はその子供を必死になって探す。繁殖が可能なレプリカントがいれば、製造コストがかからず利益を上げることができるから。
さらにその奇跡の子供を守ろうとしているレプリカントたちもいる。それらが三つ巴になる物語。ネタバレをすれば、レプリカントでありながら出産したのは逃亡していたレイチェル。つまり父親はデッカードということ。
その事実を調査していたKは、やがて衝撃の事実に到達する。その子供は自分だったという確信。過去の記憶を証明する証拠まで見つかった。母のレイチェルは出産直後に死んでいる。だから真実を求めて父親のデッカードを探す。そして二人は出会う。
そのときレイチェルの写真を見つめるKの姿が切ない。母親の面影を求める姿に涙が出そうになる。なぜなら、彼の記憶は移植されたものだったから。
本当の子供は女性だった。だけどその子供を守るため、Kが選ばれて記憶を移植された。追跡者の目先を誤魔化すため。ラストでそのことを知った Kは絶望しながらも、デッカードと実の娘を会わせるために戦う。そしてその目的を果たして、Kは死んでしまう。切なすぎてたまらない。ライアン・ゴズリングが可哀想過ぎる。
まぁこの映画は前作も含めて切ない。レプリカントたちは人間以下の扱いを受けながらも、過酷な労働を課せられていた。だけど彼らに感情が芽生える。誰かを愛することもでき、死の恐怖も感じる。元々が人間の身勝手さに義憤を覚える作品なんだよね。
先ほどの写真の女性はジョイという名で、ホログラムで作られたプログラムの存在。だけど彼女も感情を持つようになり、本気で Kを愛する。今回の続編はこの二人の恋愛ドラマでもある。もちろん待っている結末は悲しくて切ない。人間ってなんだろう? いつも本気で考えさせられてしまう作品。
このシリーズ、続編を多少は意識しているのかな? デッカードの娘を擁立したレプリカントたちは、人間社会を転覆させる計画を立てていた。もし続編を作るとしたら、その戦いがメインになるはず。もしできるとしても、やはり切ない物語になるんだろうなぁ
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