ボクは『卒業』マニア
今日、買い物で六甲の街を歩いていると、神戸大学行きのバス停に行列ができていた。『新歓祭』という札を下げた神戸大学の学生がいたので、新入生向けのイベントがあったみたい。まだ入学式には早いはずだけど、バス停は新しい空気が流れ込んでくる雰囲気に満ちていた。
そういえば買い物途中のワンルームマンションでも、新入生らしい若い子と親が荷物を運んでいる姿を複数見かけた。六甲は学生の街なので、これからしばらくはこんな風景を見ることになるはず。春は別れと出会いの季節だもんね。
4月に新しい出会いがあるということは、その前に別れがあったはず。この前も何気なくテレビを見ていると、姫路の高校を卒業する生徒たちのドキュメントが放送されていた。兵庫県立高校なのに、なんと食堂がある。京都の府立高校にはなかったぞ。その食堂の職員と生徒たちの別れを特集した内容だった。
卒業式に出席している食堂の職員たちは、涙、涙、涙。もちろん生徒たちや、彼らの保護者たちも。卒業式でよく見かける光景なんだけれど、ボクはそんなシーンを何度見ても、泣いている人たちに共感できない。
小学校、中学校、高校、大学と、自分の卒業式を思い返してみると、ボクの場合は『涙』とはまったく無縁だった。友人たちと会えなくなる、という寂しさが存在しないわけじゃない。だけど涙なんて出ないし、泣いている友人たちを見ながらどこかシラけていた。
ボクが感じていたのは心地よい開放感。もうここへこなくていいんだ、という安堵感。だから涙が出るどころか、うれしくて仕方ない。卒業するということは、次の道が決まっている。ボクは新しい世界に心が全面的に突入しているので、立ち去る場所に対して感傷を抱いている余裕がない。次の世界が楽しみで仕方ないから。
これまで雨が降ろうと雪が積もろうと、同じ時間に起きて通った場所。そんな決まりきった生活から離れられる。その喜びのほうが、友人たちとの別れより優っていた。まぁ、それほど親しい友人がいなかったからもねwww
でも『卒業』という解放感は格別で、ある種の快感を伴うことで中毒性があるように思う。脳がその快感を覚えているんだろう。だから社会人になっても『卒業』の感覚を求めて転職をした。ボクは完全に『卒業』マニアだと思う。
新しい職場に行けば、全力で仕事をする。でもそのうちやるべきことを終えた気がして、飽き性が頭をもたげてくる。すると『卒業』の快感を味わいたくなって辞表を書いてしまう。転職にはもちろん理由があるけれど、そのうちかなりの部分で『卒業』への希求が影響していると思う。
だから退職する日というのは、格別な解放感がある。あれって快感だよなぁ。もう明日からここへ来なくていい。そう思うだけで、新しい未来が開けたような気持ちになってしまうから不思議。ボクはそんな転職という『卒業』を6回も経験している。やっぱりマニアだよねwww
さて、そうなると究極の『卒業』が待っている。それはこの世を去る『死』というもの。一般的に忌み嫌われる『死』だけれど、もしかしたら人生で最高の『卒業』体験ではないかと密かに思っている。
もちろん死に至るまでの苦痛は辛いだろう。だけど肉体の機能がすべて停止して死へと至るとき、言葉にできないエクスタシーを体験するのでは? ボクはそんな気がしてならない。ボクが『卒業』マニアなのは、その究極的な快感を心のどこかで知っているからのような気がしている。
だけど『死』が快感だと知られたら、人間は生きることをやめて、次々に安楽死してしまう。それゆえ忌むべきものとして、先人は『死』に対してネガティブなレッテルを貼ったのかもしれない。
とにかく気持ちよく人生を『卒業』するためには、やり切ったという感覚が欠かせない。つまり人生を目一杯行き切ったときに、究極のエクスタシーが待っているんだと思う。さらに必要なのは、次の世界への期待。
だから『卒業』マニアのボクとしては、死に際して最高の快感が得られるような生き方をしたい。それは以前にもブログで書いたけれど、終わりを意識した生き方だと思う。まもなくやってくる4月は、ボクが『死」を意識する月。だから今日が最後だと思って、日々を全力で生きたいと考えている。
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