執拗なクリティカルシンキング
ネット社会の現代において、批判的思考、いわゆるクリティカルシンキングは必須だと思う。デマや詐欺まがいの情報が飛び交っているので、どんなことでも間に受けてしまう人はそれらに翻弄されてしまう。最悪の場合、精神的、かつ経済的に多大な損失を引き寄せてしまう。
だから「本当に正しいのか」という問いを忘れず、客観的、論理的に考えることは大切なことだと思う。まずは疑ってかかる、という姿勢でちょうどいい。それほどデマが飛び交っているから。
ただしクリティカルシンキングが過剰になると、批判することが目的になってしまう。日本の野党のように、与党の政策を脊髄反射的に批判するような思考は本質を見逃してしまう。そしてそれを聞かされる立場もキツい。ある哲学者の書籍を読んで、そんなキツい感覚を覚えてしまった。
2022年 読書#45
『読書について』ショーペンハウアー著という本。タイトルに惹かれて読むことにした。読書に関する新しい考察を得られるかと思ったから。だけど最初に書いたように、ボクにとっては過剰なクリティカルシンキングしか感じない内容だったwww
3つの論文が収録されている。
『自分の頭で考える』
『著述と文体について』
『読書について』
というタイトル。読み物としてはそれなりに面白かった。ただ19世紀のドイツ哲学者なので、理解するのが難しい部分もあった。『著述と文体について』などは、ドイツ語の表記についての詳細な指摘が多かったので、まったく意味不明。読み流すしかなかった。
基本的に著者が言いたいことは、世の中にはくだらない本が多すぎる。だからそんな本ばかり読んでいるとアホになるよ、という主旨。本というのは他人の考えが書かれたものなので、読み過ぎると自分で考えることをしなくなる。だから古典作品を中心にして、適切な本を選んで読むべきという主張だった。
言わんとしていることはわかるけれど、ボクは同意しかねる。本のもっとも大切なことは、他人の考えを知ること。小説でいえば、他人の人生を感じることにある。そうすることによって、自分の人生に反映させていくことができる。それこそが本の役割だと思っている。
要するに面白いと感じるなら、官能小説でもハードボイルドでも好きに読めばいいと思う。ショーペンハウアーにすればくだらない作品だとしても、別の人にとっては人生を前向きに変えてくれるものかもしれない。そんなもの読んでみないとわからないだろう。とにかく読める限り読むというボクの主義からすれば、承服できない指摘だった。
気になって著者の生涯を調べてみた。母が作家だったらしく、彼の著作を批判されたことで大げんかをしてそのまま生涯疎遠になったらしい。ボクの勝手な思い込みもしれないけれど、母との確執が執拗な作家批判につながっているような気がする。知らんけどwww
頭の体操にはなったけれど、クリティカルシンキング風にいえば、ボクにとっては読む労力に見合わない内容だったと感じた。
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