究極的な全体主義の恐怖
全体主義の定義をWkipediaから引用してみる。
『個人の自由や社会集団の自律性を認めず、個人の利益や権利を国家全体の利益と一致するように統制を行う思想または政治体制』
第二次世界大戦のころだと、当時の日本はこの定義にあてはまるだろう。同盟を結んでいたドイツやイタリアも同じ。だけど終戦とともに、敗戦国となったこれらの国は全体主義から民主主義へと移行した。
だけど21世紀の現代でも、この定義を見てすぐに思い浮かぶ国がある。共産主義の国がそうで、北朝鮮や中国は全体主義の定義に当てはまる。そして社会主義を放棄したはずのロシアの民主主義は見た目だけで、実態は全体主義だろう。ロシアによるウクライナへの蛮行は、全体主義国家のやり方そのまま。
そんな全体主義の恐怖がリアルに描かれた小説がある。電子書籍で久しぶりに読み返したけれど、頭に浮かんだのはいまのロシアだった。
2022年 読書#60
『1984』ジョージ・オーウェル著という小説。1949年に出版されたディストピアSF小説で、当時の状況からして全体主義のモデルとされているのはソ連。いま読んでもその恐怖は色褪せることなく、ソ連という国家がそのままロシアに引き継がれていることを実感できる。
有名な作品なので説明はいらないかもしれないけれど、簡単に世界観だけを説明しておこう。
ボクたちにすれば1984年は過去だけれど、この当時は未来のSFとして書かれている。世界は3つの国に分割統治されていて、全体主義によって国家が存続している。オセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つ。
物語の舞台はオセアニア国の都市であるロンドン。主人公はウィンストンという男性で、メディアの文章を改竄するのが仕事だった。オセアニアはビック・ブラザーという政党の一党独裁で、都合のいいように歴史やメディアでの報道を改竄している。国民は24時間監視されていて、思想警察が心の中までも監視している。
ウィンストンはそんな政府の事実改竄に気づき、反抗的な思想を持つようになった。ジュリアという女性と出会ったことで、さらにその思いが強くなった。二人で党に知られないように逢瀬を重ねることで、密かな自由を味わっていた。やがてブラザー同盟という反政府組織に接触する。
だけどそれは罠だった。二人は出会ったころから監視されていて、証拠がそろった段階で逮捕されて拷問を受ける。ここまではソ連等の全体主義がこれまでやっていたようなこと。だけどこのオセアニアは全体主義を究極的な極地まで完成させている。
拷問をしても絶対に殺さない。なぜなら殉教者を出すことでヒーロやヒロインにしないため、徹底的な拷問と恐怖を与え、完全な洗脳をしてしまう。ウィンストンは抵抗できずに覚えのない罪を告白する。だけど最後の最後までジュリアのことを裏切ろうとしなかった。
でもそんなことで終わらない。窮境的な恐怖を体験させられることで、ウィンストンはジュリアを裏切ってしまう。そして洗脳が終わって解放されたあと、二人は偶然に出会う。やはりジュリアも彼を裏切っていた。
死なせてもらえない恐怖というのは、想像するだけで震えあがってしまう。久しぶりにこの小説の世界に触れて、いまの日本がどれだけ平和な場所なのか思い知らされた。そして同時に、現在のロシアのことを考えてしまう。ロシアの人たちの心はどんな状態なのだろう? そんなことを考えてしまう小説だった。
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