愛する人を失うという恐怖
還暦になったオッサンがいうのも恥ずかしいけれど、心のどこかで引きずっていることがある。小学校1年生の夏、母が家出をしてそのまま生き別れとなってしまった。そんな子供のころの自分を客観的に見ている大人のボクと、まだその世界にどっぷりと浸かっている子供のボクが同居している。
成人するにつれて、自分なりに折り合いをつけてきたはず。だけどなぜボクを見捨てたという怒りと、愛する人が予告もなく消えてしまう恐怖と悲しみが、小学生姿のボクに混在したまま時間を止めてしまっているように感じる。
それがいまのボクにどのような影響が出ているのかわからない。何もないかもしれないし、もしかしたらなんらかのトラウマを発症している可能性もある。ただ日常生活に支障がないので、それほど深刻なものではないのだろう。
だけどそうしたテーマを扱う映画を観ると、隠されていたそんな感情が刺激される。とても切ないけれど、ボクの心には強く響く作品だった。
2022年 映画#87
『パパが遺した物語』(原題: Fathers and Daughters)という2015年のアメリカ・イタリア合作映画。25年の時間を隔てた二つの物語が同時進行する作品。ひとつは写真のラッセル・クロウがジェイクという小説家を演じる物語。幼い娘のケイティとの親子の絆が描かれている。
そしてもう一つの物語。
25年後のケイティを演じているのはアマンダ・サイフリッド。ケイティと恋人の物語が、父との関係を絡めて進行する。二つの物語がうまく編集されていて、最後まで画面から目を離せなかった。
ジェイクは有名な小説家。だけど妻と娘の同乗中に交通事故を起こし、妻を死なせてしまう。ジェイクも大怪我を負って、退院後も半身の自由が効かなくなるという後遺症に悩まされていた。それで精神科で治療を受けるため、幼いケイティを妻の姉のエリザベス夫婦に預ける。
7ヶ月後ケイティを引き取りに来たジェイク。ところがケイティを愛するあまり、エリザベス夫婦はケイティを養女にすると言い張る。もちろん娘と離れることなど考えられないジェイク。エリザベスはジェイクの後遺症を論点にして裁判で追い詰めていく。
愛する娘を失いたくないジェイク。そしてケイティも心から父を愛していた。そんなある日、想定外の出来事が起きたことでジェイクは勝訴する。やっと娘と安心して暮らすことができたとたん、発作を起こした彼はバスルームで頭を強打して命を落としてしまう。結局、ケイティはエリザベスと暮らすことになった。
そして25年後。成人したケイティは愛する父を失ったトラウマに苦しんでいた。ケースワーカーとして身寄りのない子供を助ける仕事をしながらも、私生活はめちゃくちゃ。トラウマのせいで誰かを普通に愛することができず、自己破壊行動に走ってしまう。それはセックス依存症。
好きでもない相手とセックスをしているときだけ寂しさを忘れることができた。だから心から愛する男性が見つかったのに、恋人を失うかもしれない恐怖に負けて、他人と関係を持ってしまう。この部分に引っかかったボクは、ちょっと調べてみた。
日本のヤングケアラーの女性のインタビューだったけれど、心の傷がきっかけでセックス依存症になっていたとのこと。やはりそいうことってあるんだね。
結果としてケイティは父との生活を思い出し、恋人のキャメロンと向き合うことを決意して終わる。複雑なテーマだけれど、とても心に残る作品だった。ラッセル・クロウの愛情に溢れた父親の姿だけでなく、思うようにいかない苦しみを抱えた演技に感動した。いい映画だったなぁ。
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