神を信じる、ってどういうこと?
ボクは特定宗教の信者ではなく、どちらかと言えば無神論者。キリスト教であれ仏教であれ、特定の宗教が帰依している神や仏という存在をまったく信じていない。だけど信仰心がないわけじゃない。
ミューナが腎臓病を発症したとき以来、彼の健康を願って外出すれば必ず神社に参詣している。それはその神社の神様を信仰しているというより、『何か』未知なる偉大な存在を崇敬するという気持ち。人間の姿をしたリアルな神や仏は信じなくても、宇宙意識のような広大な存在を心のどこかで認識している。
日本にはそういう人が多いのではないだろうか。日本人にはアニミズム的な精神が存在していて、八百万の神に象徴されるように、一神教的な信仰心が育ちにくいような気がする。一方欧米では、キリスト教やイスラム教のような一神教が圧倒的な信者を集めている。
ある意識調査の記事を読んだとき、その影響の強さをリアルに感じた。
神を信じるアメリカ人の数が2022年、過去最低になったことが判明
リンク先の記事のタイトルを見ているだけだと、アメリカも日本人のような宗教感覚を持つ人が増えてきたのかと思った。だけど数字を見てビックリ! これで過去最低とか言っていることに唖然とした。
2022年5月2日~22日にかけて1007人のアメリカ人の成人を対象とした世論調査で「神を信じる」と回答した人は81%となったとのこと。これは過去最低の数字ということで問題視されているらしい。
だけどボクにすれば81%もの人が神を信じていることに驚く。この調査での神の定義は、ほとんどがキリスト教関連だと考えていいだろう。これは文化として宗教教育が徹底されてきた結果だと思う。だけどグローバル化によって、若い世代を中心に神を信じる人が減っているそう。
まぁ、それは普通の反応だと思う。それでも81%だよ! リンク先の記事によると『1944年、1947年、1950年代と1960年代に2回ずつ行われた調査では98%ものアメリカ人が「神を信じる」と回答している』と書かれていた。神を信じていない人がたった2%なんて……。
まぁこれは文化のちがいだから仕方ない。おそらく一神教の信者である人でも、日本人と同じように『何か』大きな存在を崇敬する想いが背後にあるんだろうと思う。その気持ちのアウトプット方法が、アメリカと日本ではちがうということなのかも。
神を信じる、ってどういうことなんだろう? 国家や文化、あるいは宗教のちがいを超えて、人間にとって共通、あるいは共有できるものがあるような気がする。その部分が明確になれば、世界はもっと平和になるのかもしれない。
だけど現実は厳しい。戦争はいまだに終わることなく、人間同士が殺し合っている。人類共通の信仰心によって統合されるどころか、ますます分離や分断が加速しているように感じる。
今朝のアメリカのニュースでも、あの国の分断を象徴する判決が報道された。アメリカの連邦最高裁が、女性の中絶権を合憲とした1973年の判決を覆してしまった。この先はアメリカで女性の中絶権が合衆国憲法で保障されないということ。
この判断に関して映画俳優やミュージシャンたちが反発の声をあげている。リベラルや民主党支持者を中心として、この判断を批判する声が絶えない。その一方で共和党を中心とした保守派は賢明な判断だとして支持している。この出来事をきっかけとして、アメリカ社会はさらに大きな分断を経験するような気がする。
この分断を象徴するような結果が、リンク先の記事に紹介されていた。
『神への信仰に対する最大の減少を示したグループは、リベラル(自由主義)派(62%)、民主党員(72%)、18歳~29歳の成人の若者(68%)で、政治的保守派(94%)、共和党員(92%)、既婚成人は本質的に変化がみられなかった』とのこと。
今回の最高裁の判断に対する分裂が、神を信じるかどうかという部分にも反映されているように思う。最悪の場合、アメリカ合衆国から独立するという州が出てくるかもしれないなぁ。
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