死刑に代わる刑罰が浦島太郎
ボクは死刑制度に反対の立場。根拠はいくつもあるが、もっとも懸念しているのは冤罪を防げないから。ある凶悪犯罪が起きて容疑者が逮捕され、最終的に死刑判決が出るまでに多くの人が関わる。第一発見者、制服警官、刑事、鑑識、検事、裁判官、そして裁判員という人たちの関与によって、ある人物の死刑が確定する。
誰もが全力を尽くしていても、人間にやることにまちがいはつきもの。ましてや強い思い込み、あるいは意図的な怠慢や悪意が介在すれば、無実の人間に死刑を言い渡す可能性を排除できない。そうした冤罪の存在は、死刑囚による再審請求の結果が示している。
死刑が恐ろしいのは、執行してしまえば後戻りできないということ。死刑執行されたあとに無罪の証拠が出てきても、死んだ人を呼び戻すことはできない。ただ死刑に相当する厳罰の必要性も理解している。さらに死刑制度による犯罪発生への抑止効果もわかる。
もしボクが不当に殺害された被害者の家族だとしたら、犯人に対して厳罰を望むだろう。適当な年数の懲役刑を受けて社会に戻ってきたら、ボクはそいつの居場所を見つけて復讐するため、司法が課さなかった死刑に変わり『私刑』を強行するかもしれない。
犯人の死刑執行によって遺族の心が癒やされることはないと思う。だけどそうでもしないと怒りと悲しみの持って行き場所がない。それゆえ死刑制度の存続を望むという声が絶えないのもわかるような気がする。世界的には死刑廃止が主流になりつつある。だけど海外でもそのことに違和感を抱く人がいるらしい。
世界的に死刑廃止という流れになりつつあることで、死刑に代わる代替案が検討されている。というのは現在の懲役刑に効果があると思われないから。刑務所の役割としては、収容者の更生ということが主目的となる。だけど他人の命を奪ったという事実に関して、果たしてそれが適当な刑罰なのだろうかという声も出ているとのこと。刑務所の実態が本来の目的を満たしていないからだろう。
イギリスの哲学者が、死刑に代わる代替案を論文にして発表した。リンク先の記事はその内容をまとめたもの。タイトルから分かるように、有罪が確定した人物を昏睡状態にするという代替案。他人の命を奪ったという行為に対して、その人物の命の日数を縮める。
死刑とちがって冤罪だと分かった段階で、この案なら呼び戻すことができる。刑務所内における看守や収容者による暴力を防ぐことも可能。この哲学者が言いたいことは、この案はあくまでも叩き台。死刑に代わる刑罰を、本気で検討するきっかけにしたいということ。
犯罪者を昏睡状態にするという刑罰は興味深い。実際にできるかどうかは別として、30歳の人間が30年の罰を受けた場合、戻ってきたときは60歳になっているということ。年齢によっては知人たちが他界して、まるで浦島太郎のような感覚になるかもしれない。
ただこれが刑罰として効果があるかどうかはわからない。犯罪者にすればただ眠っているようなもの。苦痛もなく、自分の罪を感じさせられる気の遠くなるような懲役期間も体感しない。そして被害者の家族たちの気持ちも微妙だろう。
この方法が最適だとはボクも思わない。だけど死刑に代わる制度について、本気で検討するべきだとは思う。単に死刑廃止というだけでは、人道的には意味があっても、社会から犯罪者を減少させることにはつながらないと思うから。難しい問題だけれどね。
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