顔はその人の履歴書
まったく興味も関心もないけれど、統一教会と政治の癒着が最近の話題として取り上げられている。もっと議論するべき重要なことがあると思うんだけれどね。
30年ほど前にも、いまと同じように統一教会がワイドショーを賑わしたことがあった。その当時、ボクはちょっとした影響を受けている。
統一教会がらみで話題になったある男性信者。その男性がボクによく似ていた。ボク自身はあまり客観的に見ることができないので、似ているかどうかの判断ができない。だけど実家の家族たちは、テレビでその人を見たとたんにボクのことを思い出したそう。
妻と交際し始めたころ、同じことを言われた。自分にそっくりな人は世界に3人いると言われている。もしかしたらその男性は、ボクにとってその3人のうちの1人だったのかも。そんな顔がよく似ている人は、遺伝子的にも共通項があるそう。
他人の空似は他人じゃないかも?顔が似ていると遺伝子もまた似ていることが判明
リンク先の記事は、スペインの研究チームが今月の23日に学術誌で発表した内容をまとめたもの。他人の空似と言われている人を見つけ、その人たちの遺伝子を解析した。すると驚くような結果が出た。記事から抜粋してみよう。
『その16組中の9組は、3730個の遺伝子に共通する一塩基多型を1万9277個持っていたのだ。また体重や身長といった身体の特徴や、喫煙や学歴といった行動に関係する特徴も似ていることがわかっている』
なんと顔が似ている人は、遺伝子の構成まで似ているそう。そして双子のように、身体の特徴や行動にまで共通事項が認められている。とても興味深い結果だと思う。だけど顔というものは不思議で、遺伝子だけで語りきれないところがある。
例えば夫婦。仲のいい夫婦を観察していると、若い人でも年配の人でも、どことなく二人の顔が似ている。夫婦だから遺伝子に共通事項はない。ましてやほとんどの夫婦が異性。なのに顔がよく似ていると感じる。
あるいはペット。特に犬の場合、飼い主とワンちゃんがそっくりなことがある。人間と犬なので、本当に似ているわけじゃない。だけど両者から感じる雰囲気から、互いに共有している絆のようなものを感じる。夫婦の場合も、そしてペットの場合も、顔が似ている理由はその深い絆なのかもしれない。
つまり顔はその人の生き様を表すということ。遺伝子はあくまでも設計図でしかない。リンク先の記事で述べられているように、遺伝子構造が似ていると顔もそっくりになるのかもしれない。ボクと統一教会の男性も、もしかしたら似ている遺伝子があったのだろう。
だけど人間の顔は遺伝子だけで構成されていない。誰かを愛し、何かを憎み、自分が傷ついたり他人を傷つけたりしている。そんな人生経験は、設計図である遺伝子にとって制御できることじゃない。だから生き様がちがえば、よく似た遺伝子を持っていても顔は変わってくるはず。
要するに顔というのは、その人の履歴書だと思う。演技やメイクで誤魔化すことはできても、全身から放っているオーラ的な本質は隠せない。だからこそ年齢を重ねてきたならば、自分の顔に責任を持てる生き方をしたいと願っている。少なくとも、自然な笑顔が似合う顔でいたいなぁと思う。
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