心を重くする違和感の正体
台風12号の馬鹿野郎〜〜!
台風の直接的な影響はないものの、反時計回りの台風によって南からの熱波が関西を覆っている。完全に真夏が戻ってきた状況で、このブログを書いている時点で神戸の最高気温は34.9度。猛暑日まで一歩手前となっている。おそらく京都は余裕で猛暑日に突入しているだろう。
そんな暑さでモヤモヤしているのに、Facebookがうざい。少し前に新しいページに変更するという案内が出ていた。使いやすくなるということだってので、試しに変更してみた。するとブログとFacebookの連携が途切れるし、フォローしている人の記事が読めずにボクの発信記事が並んでいるだけ。
さすがに我慢できなくなって、今朝になって旧画面に戻した。それで状態は復活したんだけれど、新ページでアップしたブログの更新記事がぶっ飛んでいる。TikTok等に遅れをとって迷走しているFacebookだけれど、いよいよ末期症状になってきたかも。まぁ、ほぼ使っていないので支障はないけれどね。
結局無駄な動きをしてしまって、モヤモヤするだけで終わってしまった。同じようなモヤモヤが全体を支配していて、心をずっしりと重くさせる違和感に満ちた小説を読んだ。
2022年 読書#86
『彼らは世界にはなればなれに立っている』太田愛 著という小説。物語の舞台は「塔の地」という国の「始まりの町」という場所。ここから想像できるように、ファンタジー、あるいは寓話的な作品。最初はイメージがつかめなくて苦労したけれど、読み進めるとこの物語の世界観に引き込まれていった。
この小説でポイントとなるのは『羽虫』という言葉。これは遠くから来てこの町に住みつき、害をなす者のことを指す。つまり町の住人から見た差別用語で、この町の排他性の強さがわかる。移民差別を想起させる言葉だと思った。
最初の語り手となるのはトゥーレという少年。母親は羽虫なので、いわゆるハーフになる。母親のアレンカは刺繍の才能を持つ女性なのに、羽虫であることで差別を受けて低賃金でしか仕事をさせてもらえない。いくつかの出来事があり、アレンカがトゥーレを残して町を去っていくところで終わる。
次の語り手はアレンカと交流のあったマリという羽虫の黒人女性。映画館で働いていたマリは、町の有力者たちに体を弄ばれていた。故郷の町に戻りたいと願っていたマリは事故に遭って命を落とす。
という感じで次々と語り手が変わっていく。葉巻屋、そして最後を締めるのは魔術師といういずれも羽虫たち。語り手は変わっても、常に羽虫たちが受けている差別が語られることになる。町を去ったと思っていたトゥーレの母のアレンカも、実はレイプされて殺されていた。
最後に登場する魔術師は死者の姿をみて声を聞くことができる。だからアレンカの死の真相も本人から聞かされていた。こうして羽虫たちの差別が描かれつつも、言いようのない違和感がこの物語を支配していく。
それは全体主義という恐怖。「塔の地」によって選挙が廃止され、図書館の本は入れ替えられ、学校教育は大幅に変更され、そして新聞記事への介入が始まる。その結果待っていたのは戦争。最初に登場したトゥーレも徴兵されて戦地に向かう。
「始まりの町」に絶望して魔術師が街を去ろうとする。彼が連れているのはナリクという羽虫の少年。トゥーレの親友であるカイから預かった子供だった。その二人を迎えて見送ってくれたのがトゥーレ。だけどその姿は魔術師にしか見えない。彼はすでに戦死していたから。それがエンディング。
なんとも切ない気持ちが残る物語だった。羽虫たちの差別に意識が向けられていたけれど、ずっと感じていた違和感の正体は全体主義だった。全体主義に支配されていたことで、町の人たちは権力者に迎合して、戦争へと突き進んでいった。
ボクにはこの「始まりの町」が、どうしても中国、北朝鮮、そしてロシアという国家と重なってしまう。そして日本にも、その萌芽のようなものは潜んでいるのではないだろうか? とても不思議な小説だったけれど、心に強く訴えかけてくる『何か』がいつまでも残る作品だった。
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